久坂葉子「幾度目かの最期」(5) (いくどめかのさいご)

久坂葉子「幾度目かの最期」(5)

 小母様。二十二日が来るのです。私は、いつもより以上に、家庭であいきょうをふりまき、ほほえみかけました。そして十時半頃、最近かったスピッツとじゃれたりしてから外へ出ました。ズボン。それにスェーターを二三枚着て、ぼろぼろのトッパーをはおり、穴のあいた手袋をはめていました。ハンドバッグの中には、その日のため貯めておいた千円札と百円札。それに、千円の小為替。それから、真珠のネックレスと、ダイヤやルビーをちりばめた指輪。風呂敷づつみには、ペンと原稿用紙、というのは、その朝、急に書きたくなって十枚ばかりばりばり、芝居のものを書きかけたのです。いちばんはじめに書いた〈鋏と布と型〉の原稿です。それを途中で筆をおき、三時迄の余暇に、喫茶店で書きあげてしまおうと思っていたのです。さて、風呂敷の中は、青白き大佐から借りていた本二三冊、それは建築の本でした。彼が家をたてるというので、私は、そのデザインをまかされていたのです。いずれ、二人で住むかも知れない家だったかも知れません。それと封筒の中に、契約証と破約の短い文章。これは前にかきました。それ等がはいっておりました。私は、宝石屋へまず寄りました。最初の家で、両方とも三千五百円だと云われたのです。一万円は大丈夫だと思ってたのですから、がっかりしました。次の店で三千円。その次の店では、何と二千円。私は売る気がしなくなりました。品物に対する愛着はまったくないのです。しかし、引換の金額はあまりにも少い。黒部迄ゆく旅費と、若し汽車の都合で、待ったりして、その滞在費がいるわけです。私は、神戸新聞に、原稿料をもらっていないことに気附きました。で、いつもゆくレコード屋へ行って、電話をかけ、とりにゆくことをあらかじめ通知しました。さて、そのレコード屋で、その主人に会った時、彼は、私の昔の恋人です。それは、小母様、知ってらしたわね。ミローの歌曲をかわないかとすすめられました。度々そこできいていて、私、買うと云っていたものです。私は、青白き大佐にあげてもよいと思いました。そして、がんじょうに一枚のレコードをつつんでもらい、三百円とわずか、はらいました。ところへ、面白い酒場の主人がふらりとやって来て、一しょにコーヒーをのみにゆくことにしたのです。十分間ばかり絵の話など致しました。偶然そんななつかしい人と出くわすのは、たのしい気持でした。彼と別れてから、市電にのり、新聞社へゆく迄に、小さいふるぼけた宝石屋へ寄りました。今度こそ手ばなしてしまえと思ったのです。私は四千円で、指輪をうるといいました。その店では、真珠は駄目だったのです。主人は、たん念にしらべます。私は、時間がないから早くとせかせました。主人は買うと云いました。十五分もかかってからでしょうか。私はほっとしました。ところが、私のいでたちがあんまりみすぼらしく、指輪は価値のあるものでしたから、主人は私に疑いを抱いたのです。御職業、御名前、身分証明書、通帳。もう私は、すっかり嫌になって、出ちまいました。無性に腹がたってなりません。そして、いそぎ足で、神戸新聞社へゆき、八百円をうけとり、少し雑談などして、次に、郵便局へゆきました。ところが、そこでも又、身分証明書と云われたのです。私の定期入れには、名刺は、久坂のが一枚あったきり。印鑑ももってませんし、小為替は、本名宛なのです。私はすごすご(いえ大分ねばったのですが、ほつれた髪の毛のおばはんに、高飛車にことわられ)出て、次の郵便局へゆきました。駅です。そこは、小為替受附けてくれず、もう一軒近くのところへゆきましたが駄目。その近所に、私の友人がいましたから、持参人払になってますので、彼に行ってもらおうと思い、彼をたずねましたら留守。最後に、中央郵便局へゆきました。そこで私は又何度も懇願し、いろいろ説明――つまりその千円は何かを――させられた揚句、やっと受取ることが出来たのです。その金は、この間の研究所の公演の切符代。先に私が立替えてたものでした。私は又市電にのって、阪急へ。そして、急行にのりました。別に景色をみるでなく、いつものごとく、ぼんやりとしてました。私は乗物にのるのが好きで、その間、休息出来るのです。さて、時間は一時すぎでしたっけ、毎日新聞へ富士氏を訪ね、いやその前に、私は緑の島を訪問しました。彼は不在でした。何故訪問したか。唯、私の友人の作曲家のことを依煩するだけでした。もはや、何の感情も彼になかったのです。そして、富士氏と喫茶店で話をしました。よく私は死ぬんだ、とくちばしります。だから、彼には、又死ぬんだと笑顔で云いました。そうだ。その前に、私は大阪駅で黒部あたりの地図と時間表を買ってました。私は、富士氏と、冗談まじりに、その地図などみて喋り、彼は、又おいで、といって出て行きました。だけど、私はどうして先に切符を買っておかなかったのでしょう。それは、別に何の意志の働きもないことなのです。旅行する時、私はいつも、行きあたりばったりに切符を買う癖がついていたのです。東海道線で東京へゆくときも、山陽線で、西へ行く時も、先に切符をかっておくということはしたためしがなく、切符がなければ次の汽車で式でした。私は、喫茶店で一人になり、インキをかりて、原稿のつづきをかきはじめました。と、私に電話、鉄路のほとりからでした。三時にゆけぬ。六時にゆくというのです。私は待ってます。と答えて、仕事をつづけました。彼の声はとても優しい声でした。さて小一時間もたった時、ドアがあきはいって来た人、何と青白き大佐だったのです。私ははっとしました。その時の私の表情は、実にみにくかったと、彼は後で云ってましたが、彼は何か予感がしたためにやって来たのだと云いました。もう感じられています。私は、黒部へゆくといいました。そして、彼に契約証をかえしたのです。彼は、黒部へゆくのはよいけど、帰って来るようにといいました。私は、その時、何を喋ったのか記憶してません。へらへら冗談を云ったようです。でも、私の顔はひきつり、声はかすれていました。私は、罪深い女だと、そればかりが頭の中で右往左往していたようです。彼は、ゆくなら送るから、電話をしてくれ、と云いました。たしかにと私は約束し、彼は出て行きました。私の契約証を持って行ったのです。私はその時、何故か、ふっと、ひきもどしたい気持にもなり、そして又、ほっとしたようでもあるのです。私は又、原稿のつづきをかきました。鉄路のほとりから再び電話、また少し遅くなるからとのことでした。私は、六時から、レコード何を注文してもいいので、ブラームス四番を注文しました。このシンフォニーは、私が、一番好きなシンフォニーでした。さて、店の女の子が長時間をかけはじめようとし、私はペンをおき目をつぶりました。ところが最初の絃の八小節がかからなかったのです。針のおき具合がわるかったのでしょう。もう私は、気がいらいらして、全曲終る迄、殆どきいてませんでした。不愉快な曲だとさえ思った位です。ブラームスが終り、私の原稿も終りました。次はフィガロの結婚がかかりはじめました。その頃、鉄路のほとりがやって来たのです。私は、むかいの席にすわった彼を、静かなまなざしで見上げることが出来なかった。私の黒部行の気持と、彼への愛情いや愛着とが、ものすごいスピードで頭の中をまわります。黒部行の気持のはたらきは、彼に真実を訴えようとすることの他に、一切の日常事からはなれたかった理由があります。家庭のこと。そうです。私はもう、家庭でのジェスチュアをつづけることが不可能になって来ていたのです。疲れて来たのです。それによい仕事が出来ないことも、書けないことも原因だったのです。生きてることにしたら、又掩《おお》いかぶさってくる。それらのこと。それらの重さ。私は、彼に云いました。黒部へ一しょに行って下さいと。ああ小母様。私は何ということを云っちまったのでしょう。洩らしたのでしょう。彼の幸せに、彼の未来に、罪深いとるにたらない私が、遮断機をおろすことになるんです。私達は、喫茶店を出ました。私の荷物、つまり原稿と、ミローのレコードと、青白き大佐に渡すべく借りていた品々。それを預けて。重い足どりでした。私達は、屋台のめし屋へはいって、かす汁をのみました。それから駅の近所へ来ました。彼は、電報をうつと云うのです。私は、黒部へ行ってくれるのだと解釈したのです。ところが、彼は自宅あてには打ちませんでした。その夜何か会があるらしく、ゆけないという電報でした。それでも私は黒部へ一しょに行ってくれるものと信じました。十時半の汽車まで、まだ三時間あまりあります。



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