久坂葉子「幾度目かの最期」(8) (いくどめかのさいご)

久坂葉子「幾度目かの最期」(8)

 小母様、私はどうにもならなくなって、又生きる元気を失ってしまったのです。幸せになれると思ったのは束の間でした。二十二日から二十五日迄でした。私は、鉄路のほとりを愛しています。でも、それが真実だということを証明する何ももっちゃいません。感じ合うことが出来なければおしまいです。私は、彼と共に生活はしてゆけまいと思いました。疑いや誤解の連続になるでしょうし。小母様、小母様は、孤独になって生きてごらんなさい、とおっしゃいましたね。私には出来ないのです。来年早々、家を出て、生活してゆくつもりでしたが、想像していた私のその生活には、たった一人ではなく、鉄路のほとりの存在があったのです。そして仕事が出来るだろうと思っていたのです。家庭のこと。仕事のこと。そして一番大きなことは、鉄路のほとりのことなのです。彼を失って、私は仕事をしてゆくだけの勇気も強い意志もありません。小母様。私は強がりにみえて、本当はとっても弱いのね。私は、彼を責める気はありません。自分を責める気はうんとあっても。どうしてこんなことになったのか。やっぱり私の罪だと思うのです。そうだ。その手紙、私は速達にしたためた。あげたいものは、平手打ちです。私の愛情の表現です。もう何も云うことも出来ない。彼の抱擁と接吻も期待出来ないのです。
 私は思う存分、彼の頬を打つつもり。それから、返したいものは、彼がくれた二枚の写真のうち一枚の方です。それには、彼の昔の恋人が一しょにうつっているのです。はじめのうちに、ちょっとそのことを書いた筈です。私は、写真をみてさえ、むらむらするのですから。
 小母様。その翌日、つまり二十八日、小母様のところへ行く前に、青いポスト、速達便の箱にいれたのです。彼への最後の手紙を。
 小母様。その後のことは、もうかかなくてもいいわね。
 小母様。今、一時頃かしら。三十日のよ。いや、三十一日の午前一時。
 小母様、彼からは何の連絡もなかったのです。十時迄に、いやその後、今迄に。もうおしまい。はっきりおしまい。私は、何も行動する勇気なくなりました。だけど死のうとする心の働きはあるんです。今、行動をともなわせるべく努力しているのです。私はだけどどうやったらいいんでしょう。南の国が好きなのに。寒い雪のふるところへ行こうとする私。私は、いつ死ぬでしょう。行動をとることが出来るのでしょう。もう彼とのことは終ったのだと結論が出ているのに、私の心では、終らせたくないという働きかけがあるのです。電報か電話が若しや少しおそくなっても来やしないかと。或いは、仕事の都合で私の郵便を見ていないのではないかと。だけど、やっぱりもう駄目ね。
 小母様。明日は、いえ今日は大晦日。この年は終るのです。この年はじめには、緑の島を熱愛していました。そして、彼を誤解したため、自ら命をたつ行動をし、その揚句には生きかえって、肺病になった。私は、何という女でしょう。今は、鉄路のほとりを愛しきっているのです。小母様、もう一度会いたいと思う。だけど不可能です。明日、私は武生へ旅立つべきでしょうか。武生へゆく旅費はあるのです。
 小母様、私はこれをよみかえしはしません。よみかえす勇気はないのです。これは、私の最後の仕事。これは小説ではない。ぜんぶ本当。真実私の心の告白なんです。だから、これを小母様によんで頂いたら、或いは、雑誌に発表されたら、私は生きてゆけないでしょう。鉄路のほとりは、虚構でなしに、本当のことだけを書けと私に云いました。
 これがそうです。私はこれを発表するべくして、死ぬでしょう。私の最期の仕事なんですから。そして、富士氏におくるよりも先に、鉄路のほとりへよんでもらいましょう。そして私は、彼の意志にまかせて、破るなり、或いは小母さんのところへ持って行ってもらうなり、雑誌にのせてもらうべく、富士氏の所へもって行ってもらうなり致しましょう。
 小母様、私は静かな気持になれました。書いてしまった。すっかり。何という罪深い女。私は地獄行きですね。
 小母様、お体をうんと大切にして下さい。花がいけてある御部屋。なつかしい御部屋です。
  十二月三十一日午前二時頃




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