久坂葉子「華々しき瞬間」(15) (はなばなしきしゅんかん)

久坂葉子「華々しき瞬間」(15)

     十二

 カレワラに、最初にあらわれた客は、仁科たか子であった。
「まあ、いらして下さったのね、ありがとう。嬉しいわ。さあおかけになって、あら、いい御召物ね。えんじ色、よく御似合いだわ」
 仁科たか子は狼狽した。
「主人はまだでしょうか」
「あら、もうすぐいらしてよ。さあさ」
 その時、蓬莱建介と仁科六郎が、連れだってはいって来た。男同志の友情とはよいものである。道で、仁科六郎に出会った蓬莱建介は、歩きながら今日の期待のことを話したのだ。
「女房の奴、君の妻君も招待したんだぜ」
 仁科六郎は一瞬たじろいた。
「まったく、いつまでたっても子供じみた女房だよ」
 仁科六郎は蓬莱建介に心の中で感謝した。彼は、無事に終るようにねがった。
 ――阿難がかわいそうだ。僕はたか子にやさしくしなければならないのだから――
「まあ、大いにのもう。女房の御馳走は有難いもんだ」
 蓬莱建介は、仁科六郎の気持をよく推察出来た。彼は、世間ずれしている。そして、臆病者である。事件をこのまない。だから、仁科六郎に親切したわけなのだ。

 仁科六郎は、にこやかに妻たか子をみた。彼は、阿難がまだ来ていないことにほっとした。
「いたずらするんですね。蓬莱女史は、一しょに招待すればいいものを」
 仁科六郎はたか子の横にこしかけた。蓬莱和子は、夫が喋ったことをすぐ感付いていた。
「びっくりさせようと思ってたくらんだのよ。ごめんなさい」
 蓬莱建介は、ばらの花の枝にしばりつけてあるネーム・カードをみながら大きな声で云った。
「僕をふった女性はまだ来ないかね」
「お杉、来る筈よ。わざとおくれて来るんでしょう」
 蓬莱和子は、ビールの栓をぬきながらこたえた。
「お杉ってどなたですの」
 仁科たか子は夫に小声でささやいた。
「あら、御存知なかったわね。南原杉子さんって、とてもきれいないい方よ。あなた、屹度好きになれるわ」
 たか子の質問を耳にはさんだ蓬莱和子は、愉快そうにこたえた。
「放送の仕事している人だ」
 仁科六郎は、たか子に云った。
 ――夫がまるで関心のない人なんだわ、そして、蓬莱和子にだって、夫は別にとりたてて好意をもってないわ。美人だけど、もう年輩の方だし、御夫婦は仲よさそうだもの――
 たか子は、夫六郎の方に笑顔をおくった。
 四人はビールの乾杯をした。
「ねえ、あなた、こんなおまねき本当にうれしいですわ」
「じゃあ、これから度々しましょうね、今度はうちの方へ御まねきするわ」
 蓬莱和子はふたたび口をはさんだ。
「南原女史、何してるんだ。シャンパンがぬけないじゃないか」
 蓬莱建介はわざと又大声で云った。然し、彼は、南原杉子が来ない方がいいように思っていた。
 ――彼女のことだから、二組の夫婦の前にあらわれても平気だろう。僕と最初の出会いからして芝居げたっぷりなんだから。でも、四人だけでも仲々厄介な関係になっているのだから、そこへ又、もっと厄介な関係の彼女があらわれたら。あんまりかんばしくないことだ――
 彼は、南原杉子とすっかり関係をたつべきだと考えていた。然し、浮気をよす心算ではない。ワイフの知っている女との関係など、物騒だと思ったのだ。
 気づまりな空気にならないように、さかんに喋るのが蓬莱和子であったが、本当は、自分の注目をひきたいような言葉ばかりであった。
「この真珠のいわくを申しましょうか」
 彼女は、仁科たか子にささやいた。
「たか子さん、うちの女房は大へんな女房ですよ。僕に浮気したら背広買ったげると云ってね、出来なかったから真珠を買わされたのですよ。相手は、もうじきあらわれるだろうところの南原女史。浮気は出来ない。真珠は買わされる。さんざんです」
 蓬莱建介が笑いながら云った。たか子は、目の前の夫婦が不思議だと思った。仁科六郎は不愉快でならなかった。だが、快活をよそおわねばならないと思った。
「たか子。僕が浮気したらどうする?」
「いやですわ、冗談おっしゃっちゃ」
「たか子さん、御心配御無用よ。六ちゃんは絶対大丈夫。私が太鼓判を押すわ」
 たか子は素直に笑った。蓬莱和子は悠然と頬笑んだ。彼女は、誰からも信頼され、誰からも頭をさげられたいのだ。
 ――御心配御無用よ。私はばらしやしませんよ――
 彼女は、仁科六郎の方をちらりとみた。そして、すこぶる優越的な気持になっていた。表で自動車のとまる音がした。瞬間、四人の間に、不気味な空気がわきあがった。
 ――阿難、すまない。がまんしてほしい――
 ――お杉はどんな表情をするかしら、今日という今日は、私に顔があがらないだろう――
 ――とうとうやって来た、南原杉子。どうにかうまくゆくだろう。しかし僕はびくびくなんだ――
 ――どんな方かしら、きれいな方らしいけど、夫が今まで私に黙っていた人。夫のまるで関心のない人にちがいないけど――
 ドアがあいた。
「待ってたよ。おそかったね。仁科君の奥さんも来てられるんだよ」
 蓬莱建介である。彼は誰よりもはやく、殆どドアがあいた時に、入口の方へちかよって行った。蓬莱和子の視線。のりだすように、こちらをみている着物の婦人。仁科六郎はうつむいている。南原杉子は、自動車を降りた途端、まるで阿難を葬っていたのだが、胸にはげしい鼓動を感じた。蓬莱建介は、奥の方へ背中をむけ、南原杉子を、ほんのしばらくかばってやっていた。彼の愛情である。
「さあ、はやく、はじめてるんだぜ」
 南原杉子は、蓬莱建介に、まず無言のうちに諒解したというまなぎしを与えて、正しい姿勢で奥へはいった。それまで、いつもの饒舌を忘れていた蓬莱和子は、たち上ると、
「お杉。何故、おそかったの、さあさ、六ちゃんの奥様よ」
 蓬莱和子は、夫の南原杉子に対する好意的な行為を、何か意味あるものととった。そして真珠の首飾りを無意識につかんだ。
「南原でございます」
 仁科たか子は、たち上ってしずかに会釈した。南原杉子は、仁科たか子をみなかった。そして傍の仁科六郎をもみなかった。
「南原女史、さあ」
 蓬莱建介は、シャンパンをいさましくぬいて、最初にカットグラスを彼女の手に渡した。彼女はそれを手にして、あいている椅子に腰かけた。それは、四人の視線をまっすぐにうける中央のソファであった。南原杉子の手は、かすかにふるえていた。蓬莱建介は、なみなみとシャンパンをつぎながら、注ぎ終えても、しばらくそのままの恰好で、南原杉子がおちつくのを待ってやった。
「おい、レコードをかけろよ」
 蓬莱和子は、南原杉子の衣裳をほめながら蓄音器に近づいた。
「ジャズがいいわね」
「『いつかどこかで』をかけろよ」
「あら、思い出があるの?」
 その時、南原杉子は、はっきりと南原杉子になっていた。
「あるのよ、御主人との思い出よ。私が、ホールでうたっていた時、御会いしたのよ」
 仁科六郎は驚いた表情で南原杉子をみた。
「私ね。パートナーと踊りに行って酔っぱらったから、舞台にあがっちゃったの」
「いつかどこかで」がなり出した。
「女史、踊ってくれませんか」.
「いやよ、奥様と踊るわ」
 南原杉子は、蓬莱建介の方へにっと笑ってみせた。
「お杉、踊ってくださるの、うれしいわ」
 南原杉子は、蓬莱和子をかかえた。そして、もう、彼女の肉体に何も感じなかった.
「たか子さん、おかしいね、あの二人、あなたも踊られませんか」
「私、ちっとも知らないのです」
 踊っている蓬莱和子はふと身体をかたくした。南原杉子と自分。彼女は、自信がくずれてゆくのを知った。
「御疲れ、よしましょう」
 南原杉子は、蓬莱和子をいたわるように椅子にすわらせた。
 五人は、御酒をのんだり、御馳走をたべたりするうちに、わだかまりをとかしはじめた。しかし、この際、わだかまりがとけるということは、非常に危険なのである。南原杉子は、さかんにのんだ。けれど、はっきり南原杉子を意識していた。仁科たか子は味わったことのない空気に酔いだした。そして、仁科六郎を世界一よい夫君だと信じた。蓬莱建介は、無事に終りそうなのでほっとしていた。彼は、南原杉子に、関係をつづけてくれと頼もうかと思った。それ程、彼女は美しかったのだ。蓬莱和子は、いらいらしはじめた。そして、しきりに、真珠の首飾りをいじった。
 ――本当に、浮気をしたなら、浮気をしましたなど云えないわ。夫と、お杉は何かあったのじゃないかしら。でも、彼女は、仁科六郎を愛している筈。いや、愛しているとみせかけて、夫と何かあるのをかくしているのかしら――
 蓬莱和子は、仁科六郎と、夫建介とを見比べた。蓬莱建介の方が立派である。彼女は、喜びと不安と、どっちつかずの気持であった。
「六ちゃん。いやに黙っているのね。奥様とおのろけになってもいいことよ」
 仁科たか子は、はずかしそうに、しかし嬉しそうにうつむいた。彼女は、善良な女性である。
「お前ときたら、のろけるのは人前だと考えているのかね」
 蓬莱建介は笑いながら云う。
「ねえ、あなた。でもお若い御夫婦をみてると羨しくなるわね」
「あらいやだ。ママさんは、御若いのだと、御自分で思ってらっしゃる筈よ」
 それは、鋭い南原杉子の言である。
「どうして、あなたよりずっと年寄りよ」
「年齢で若さは決められないわよ」
「じゃあ何」
「だって、人間の精神があるものね。五十でも六十でも若い人居てよ。精神的な若さに、肉体が伴わない場合、しばしば女の悲劇が起るのよ。ママさんはとにかく御若い筈よ」
 仁科たか子は、肉体という言葉を平気で口にする女性にびっくりした。
「若くみられて幸せじゃないか」
 蓬莱建介が言葉をはさむ。
「本当はおばあさんなのにね」
 蓬莱和子は、ひどく夫建介と、南原杉子から軽蔑をうけたような気がした。



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