久坂葉子「華々しき瞬間」(03) (はなばなしきしゅんかん)

久坂葉子「華々しき瞬間」(03)

「先日はどうも」
 南原杉子は簡単に挨拶して営業関係の人に会いにゆく。その時、蓬莱和子の機嫌のいい、そして流暢な喋り声を思い出したのだ。と、急に、南原杉子は彼女に会いたくなった。ものずきからである。会社の用事をすませ、狭い廊下を小走りに受付へ来ると、仁科六郎ほまだいた。
「そばでも食べに行きませんか」
 南原杉子は、そばと仁科と、そして蓬莱和子をならべたてて考えた。
「ちょっと用事があるのよ。今度ね」
 エレベーターの扉がしまった。仁科六郎は冷い顔をしていた。彼女は、蓬莱和子と仁科六郎の関係を考えた。
 カレワラにはいると、奥でピアノの音がしていて、マダムがリードを練習していた。お客にきかせるならジャズでもうたえばいいのに、南原杉子はそう思った後で苦笑した。一人も御客はいなかったのだ。カウンターの上の水仙は枯れかかっている。女の子が珈琲をいれながら、ママさんを呼びましょうかと云った。南原杉子はにっこりうなずいた。
「まあ、いらっしゃい。おまちしてましたのよ」
「先日は失礼、いそがしくって……」
「そうですってね。六ちゃんが云ってました。一人で何でもやってらっしゃるんですってね」
「(六ちゃん。よほど親しい人とみえる)ぼんやりだから、仕事駄目なのよ。……いいお店。おたのしみね」
「あらいやだ。ちっとももうかりませんのよ。あなた東京の方ね。私、谷山さんの弟子ですのよ。あ、先達は、見えてたでしょう。ああして、月に一回レッスンに来て頂いてますの。関西の御弟子さんはみんなここへいらっしゃるのですよ。御店だか稽古場だかわかりませんわ」
 南原杉子は、長々喋ってくれる相手が好きだ。その間に他のことを考えていてもいいし、十分に相手を観察することも出来るのだから。
 ――一体、この人どんな生活しているのだろう。あれまあ、又谷山をほめている。東京では弟子がないもんだから、ひょこひょこ関西落ちしてるのに、おや、首のあたりに、かげりがある。随分の年かな――
「あなた、音楽なさいませんの」
「好きだけど、無芸なのよ」
「あなた、失礼だけど、お幾つ」
「年などはずかしくって申せませんわ(実際のところ、私はいくつになるのかしら)」
「あら、ごめんなさい。お若くみえますわ、で、おひとり」
「ええ」
「御家族は」
「東京」
「まあ、じゃたったおひとりなんですの」
「さあ」
 南原杉子は遂に笑いだしてしまった。蓬莱和子の質問がちっとも面白くないからだ。ところが、蓬莱和子の方は、こいつは男がいるんだなと思ったのだ。
「いいわね、おたのしみでしょう」
 南原杉子はますます苦笑した。
「東京はよろしいですわね。で女子大でも」
「いいえ、とんでもない」
「あら、……。私、戦前はよく東京へまいりましたのよ。日比谷、なつかしいですわ。あのさ、御菓子召しあがって、私、とてもあなたが好きになりましたわ。御ぐしの恰好、チャーミングですわね」
 南原杉子の方からは、何一言きくすきまがない。だが、きこうともしないでも、蓬莱和子は心に秘密しておくことが出来ない性質《たち》の人だと、彼女は察していた。案の定、
「お菓子おきらい? ビールお飲みにならない」
「のみましょう」
 で、二人はぐっとのみ、その後、蓬莱和子はますます喋りだした。二十年前に、自分は関西の学習院と云われている阪神間の学校を卒業し、すぐに結婚、今は、戦災にあった邸跡に、二軒家をたてて兄夫婦の家族と別棟に、住んでいる。里の両親は、戦後、相ついで死んだのだが、関西では有名な金持で、宮中の侍従武官某氏や、元外務大臣某氏と親類である。ピアノは二台とも土蔵にあって焼けのこり、その一台をここへ運んで来ている。自宅では、小さい子供に歌を教えている。夫の月給が少ないので、こんな店をはじめた始末。三年になる。それ等のことを蓬莱和子はいかにも斜陽族の現実のかなしさをふくめて喋った。
「谷山さんのお弟子の発表会が近くありますのよ。六ちゃんとききにいらして下さいね」
 やっと一段落すんだようだ。しかし、最後に出た仁科六郎の名前。それから又急テンポで蓬莱和子は喋りはじめた。
「六ちゃんとは、私は十年前からの知合いですの。とてもいい人で、あなたも御附合なさるといいことよ。私、とてもあの人好きなんですよ。あの人もね。私を好きなんですって。でもねエ、ホホホホ」
 いよいよ終りを告げるのかと、南原杉子は一息ついた。が、
「私ね、あなた、好きですわ。あなたの感じ、素晴しいわ、仲良くなりましょうね。一度、六ちゃんと三人で飲みましょうよ。私、うれしいわ。あなたのような方に御会い出来て」
 南原杉子は目の前に白い手を発見した。握手を求められたのだ。南原杉子は無造作に手をさしのべた。へんな感触だと思った。年増女のひからびた中に案外粘りっこい色気を感じたのだ。
「お子さんなくて、おさみしくありません?」
 南原杉子は、テーブルの下でハンカチを出し、へんな感触のあとを処理しながらたずねた。
「あら、ない方が楽ですわ。でも何故ないって御気付きになったの」
「わかりますわ、お若いですもの」
 話は終った。南原杉子はカレワラを出た。非常にこころよい。ビールのせいか。蓬莱和子の饒舌のせいか。いや、南原杉子は、ビールの味も長い饒舌も忘れていた。こころよいのは何故だろう。彼女自身仲々気がつかない。電車通りをすぎ、紡績会社の方へ曲った時、彼女は、そのこころよさが何であるか発見した。それは、仁科六郎の存在である。



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