久坂葉子「灰色の記憶」(10) (はいいろのきおく)

久坂葉子「灰色の記憶」(10)

     第五章

 年があらたまって、上級生は次々と動員されて出て行った。三学期に新しい国語の教師をむかえた。女の独身の情熱家であった。私は彼女の浅黒い粘り強い皮膚に異様な魅力を感じた。彼女は頭髪を一まとめにして後で束ね、眉間にいつも皺をよせ、なまりのある語調で(九州人であることはじきにその言葉でわかったのである)高村光太郎の詩を朗読した。その詩は九軍神に捧げられた勇しい詩であった。
 彼女の手に触れたいと思っていた私は、ある授業時間の始まる前、故意に出席簿を先に持って来ており、それを教壇のところにたっている彼女の前へうやうやしく持って出た。
「ああ、探したのですよ、教員室にないかと……」
「失礼しました。ちょっとしらべ度いことがありましたので」
 私は細長い形のうすい出席簿を彼女の手の上にのせた。素早く右手をのばして彼女の指先にふれてみた。何気なく。しかし、その瞬間、非常につめたいその指先の感触が、私の手から胸の方へいきおいよく走った。私は一礼すると座席についた。彼女は栄養が足らないのだ。一人故郷をはなれて自炊しているんだから。私はそんな空想をしながら彼女の激烈な言葉や、黒板にチョークをたたきつけるようにしてかかれた大きな文字を、心に沁みこませた。しかしその内容にはあまり興味はなかった。
 彼女と懇意になりたく思いながらその機会をねらっていた。ある朝、私は登校する時、偶然彼女と並ぶようになった。彼女は思ったより背が低く、しかも胴長であった。紺色のもんぺの膝のところに四角い継ぎがしてあった。小さい縫目であった。私のもんぺの膝のところにもつぎがあたっていた。茶色のもんぺに紺色の布が黒い大きなずぶずぶした縫目であてがわれてあり、ところどころがういたりつれたりしていた。
「あなた、おもしろいね、このつぎ」
 語尾をいちいちはっきり区切って彼女はくつくつと笑った。私は、はあ、とつぶやいた。
「ああ、さむいね、やっぱりさむいね」
 道が大きくカーヴしたところで、北っ風にぶつかりながら、彼女は元気よくそう云った。私は又、はあ、と云った。何も云う事がなかった。
 次の機会、それは路上であった。突然、空襲警報がなり、道の防空壕に私と彼女は、警防団の人達の命令で他の通行客と押づめになりながらいそいではいった。私は彼女の手と握り合っていた。彼女の呼吸が近くできこえ乾草のようなにおいを感じた。
「故郷はいいよ。松原があって、しろおい砂浜があるの。田園があって、森や鎮守様や。あなた、都会っ子ねえ、そうでしょう」
 私は、私も田舎育ちであり、そこも又、白砂だったことを告げた。
「ああそう。たび、したいねえ」
 天井にぶつかりそうになりながら、頭をくっつけ合わせて小声で喋った。彼女は、私に遊びに来るようにと告げた。そして、小さな手帖の紙に、地図と番地とをしるして私の手に握らせた。私は、明日の日曜日は作業のない日だから伺いますと云った。解除になって、私と彼女は壕の上で別れた。
 翌朝、私はにぎり飯や飴玉を持って彼女の下宿先へ訪問した。彼女は縁先で、梅の花を竹筒にさしていた。彼女の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]し方は乱暴で、三本の梅の枝がつったっていた。私は苦笑した。彼女は旅行記念の手帖をみせてくれた。俳句や和歌や淡墨の絵があった。ひるまで、私と彼女は絵をかいた。彼女は般若の面を荒々しく画いて私にくれた。私は観音のプロフィールと梅の木とを、半折に配置してやはり墨だけでかき、彼女に捧げた。
「うれしいね。私は……。私、学年があらたまると故郷へかえるの、時々眺めてあなたを思い出すの」
 私は、ぜひ神戸に居てほしいとは懇願しかねた。彼女はやはり肉親の許へ帰るのが当然であり、私がひきとめても仕方ないことであった。それに、教師は教授するのではなく、共に工場で働くためのものでしかなかったからだ。
「私、神や仏を信じてない。私、自分を信じているの」
 近くの山へ散歩した時、ふっと彼女はそう云った。
「唯、寺や仏像が好きだけ。あなた、仏教信者? 教員室で噂きいた。……」
「何もかもわからなくなってしまって……わからないままにかえって強くなったみたい。わたし、数珠を捨てたの……」
「自信を持つことね。自信をもつことよね」
 彼女は私の手をにぎりしめた。それはごつごつした男のような手であった。
 彼女は学期の終りに、辞職の挨拶をして九州へかえって行った。
 学期があらたまると殊更私はいそがしくなった。そのまま幹事を任命され、いよいよ工場へ出陣することとなった。誓書、といういさましい文章を講堂でよみあげた。とにかくいそがしいことが、私の自分勝手ななやみのはけ口にもなり、自然、なやみもわすれてしまうようにもなったのではあったが、度々神戸も空襲され、すぐ近所まで焼け跡になり、死傷者が続出すると、私の心の隅に、ふたたび死ということが、鮮明に刻みこまれるようになった。私は真白の数珠を右腕につけた。死がおそろしいのではなかった。死を常に意識するようになり生きているということに何らかの意味を持たせたいと思った。私はこの頃、自分は罪を犯したものである、と思うようになった。それは瑣細な罪であったかも知れないが、小さな胸にはそれだけのことでも大きな負担であったのだ。私は、自分を罰さなければならないと思った。そして、死の後の世界をはっきりと感じるようになった。私には、地獄極楽があるということは人間にとって大へんな不幸だと思った。生きている間、悪事を働いても、死んでから位、苦しみたくないようになりたいものだと考えた。それは虫のよすぎる話である。私は毎夜、火の中にたっている自分や、針の山をあるいている自分の夢をみた。これは苦悩であり、私の罪への罰則かもしれないとも思った。私は、仏への信仰によって救われたいと思った。
 空襲がひどくなり、父母や姉や弟達は、すっかり神戸へ引揚げて来た。何故なら、誰か一人家族が死ぬようなことになるなら、一しょに居り度いと考えたのであろう。一時でも、顔を見合わせている方が安心だと姉は云った。私は毎朝早く起き、水をかぶり、南無阿弥陀仏を唱えた。大乗の道は私には最初からあまりに苦難であったから結局私は称号によって救われることをのぞんだ。くるしみたくはない。これは当然考えられるべきことであった。
 電車に乗って工場へゆく、工場は航空機の部分品をつくるところであった。私達はそこで手先の仕事をした。豆粕や高梁のはいった弁当や糸のひいたパンをたべた。空襲警報がなると、十分間走って山の壕まで行った。五月のよく晴れた日、工場地帯を爆撃された。山の壕でもかなりひどいショックを受けた。私は壕から十米もはなれた小さな神社の社務所でラジオをきいて、メガホンで報知していた。しかし、頭上に爆撃をうけているのだから報知する必要はないのである。それにすぐラジオは切れてしまった。主任教師は大きな木にかじりついてふるえていた。あの恐しく強がりな彼がまあ何と不恰好なと、もう一人の報道係と苦笑した。しかしその女の子も恐しいと云って壕へかけて行った。私は仕方なく、ガラスがふきとんで危いので、草原の庭へ出て、寐ころんで本をよみ出した。私には、空襲や爆撃は恐しくはなく、それより自分の罪に対する罰の方が恐しかったのである。私はたしか尾崎紅葉の小説をよんでいた。「二人女房」だったと思う。小説をよんでいる間私は夢中にその作品にとびこんでいた。私はかなり長い間であったろうか、それをひとりよんでいた。空襲はおさまり、時々、破裂音がお腹の皮をよじり、生徒の泣き声がしていた。私は、ふと傍に泥のついた軍靴を発見した。主任教師である。私の下から見上げた視線と、彼の黒ぶちの眼鏡越しに光る視線がぶちあたった。いきなり彼は私の本を足でけった。私はかっとして立ち上り、教師をにらみつけた。
「何たることだ、職務を忘れて小説をよんどるとは……」
 私は本を拾おうとした。
「きいているのか」
 続く怒号。ふと木の間よりみれば、生徒は整然と並んでこちらをみている。私は仕方なく詫びた。詫びることは簡単であった。教師は本を自ら拾い、その題字をみて更にぶるぶる怒った。
「こんな本をよんでいいと思うのか……」
 その本は彼の手に固く持たれ、返してくれなかった。私は、自分の場所へ戻って、生徒の人数を数え、報告した。



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