久坂葉子「灰色の記憶」(12) (はいいろのきおく)

久坂葉子「灰色の記憶」(12)

     第六章

 学期があらたまり、私は幹事をつづけ、民主主義の産物である自治会等の役もひきうけるようになった。私は何でもぽんぽん云ってのけた。それは愛校心とか、自由主義思想とかいう名目の下ではなく、面白いからであった。しかし私達の要求は殆ど学校当局にはきき入れてもらえず職員会議で一応相談の上という逃げ口上ですべて校長の独断で事ははこばれた。それでも私には大した影響はないと考えていたから、又何かの事件を持ち出してはその話を呈供することを喜んでいた。学校復興のバザーだとか学芸会音楽会がしきりにもよおされるようになった。私は劇に出たり、独唱したりピアノをひいたり自作のうたを舞台の裏でうたったり(――何という心臓の強かったことだろう――)平気でやり、又人気を集めた。机や手提げカバンの中に贈物や手紙の類が舞いこんでいる。私の姿を廊下で追いまわしたりする人や、私の体にぴったり体をひっつけて泣き出す人や、私は別にうるさがらないで、それぞれ御礼の返事を出した。妙な快楽であった。その頃、やっと一軒家がみつかって、私達の家族だけ其処へ引移っていた。それは学校のすぐ下で、焼けた家からも近くであった。私は二階の半坪の洋間に、本棚と机をいれてやっと椅子を動かすことが出来るだけの狭さを喜んでいた。私は毎晩、四五通の手紙を書かなければならなかった。
 その中に一人、女の教師の手紙があった。彼女は、以前私がその皮膚を愛した国語の教師の後を引ついでやはり国語文法を教えてくれていた。彼女には何の魅力も持たなかった。彼女は肥満した肉体をころがすように教場へはいって来て、よく透る声で古文をよんだ。アナウンサーになればよいのにと級長達と共に云っていた位、珍らしくはっきりしたそして暖みのある声であった。彼女は私によく居残りを命じ、山へ散歩しようと勧誘した。私はお供しながら、翻訳小説を静かに語ってくれたり、美しい詩を暗誦してくれたりする彼女の後に従って歩いた。ある国語の時間、一人ずつ五分聞演説をさせられた。私は喋ることを得手としていた。何でもいいから喋らなければならない。自分の幼い時に起った話、空襲の話、家の話、出席簿の順番に私があたり、私は自分のことは喋りたくないと云って何かペスタロッチと吉田松陰のことを喋ったようだった。とにかく、よみかきそろばん、という口調のよい言葉を大層嫌っていたので、その言葉をくそみそにやっつけたように思う。彼女は憎々しく私の意見に反対した。私はそれに反駁するだけの知識を持っていなかったので無表情のまま眼を引きつり上げて彼女の顔をみた。その日の放課後、彼女は私のその時の表情がかわいかったと私に告げた。私は少しばかりの憤りを感じたが黙っていた。彼女はしばしば私に手紙をよこすようになった。私は彼女に、気随に書いた詩や雑文をみせて批評を乞うた。彼女は私の詩を愛してくれた。けれど、彼女は私の数珠をきらった。
「ゆめをみるの、あなたの手が、血みどろになった手だけが、私を追いかけてくるの、その手に数珠がきらりと光る。私は毎夜、そんなゆめをみるの」
 彼女は私に数珠などはずしてしまえと度々云った。私は離さなかった。
 彼女は一人で学校の礼法室の片隅に自炊していた。私はその部屋で日が沈むまで寐ころびながら彼女と二人で話をした。職員室の間では、私と彼女の関係があまり目立ちすぎるというので私は主任から叱られ、彼女は校長から注意された。私は別に彼女を愛したのではない。しかし彼女は話題が豊富であり、話の仕方が上手かったし、その声にふれることはたのしいことであった。それに、私は人に甘えることを今まで知らなかった。家庭に於いても、常に礼儀や服従を守らなければならなかったし、母は一段と高いところの人であったのだ。だから私は彼女に時たま御馳走してもらったり――それは南瓜の御菓子だとか、重曹が後口にぐっと残る蒸しパンであった――髪の毛をくしけずってもらったりすることが大きな喜びであった。その頃、私の家は財産税などで、だんだん土地を手ばなしたり家財道具を売りはなしはじめたりしていた。そうして父は衰弱し神経をふるわせてばかりいたし、兄が胸を患いはじめたり、姉の婚期が近づいたりして、ごったがえしていた。一家だんらんなど言葉で知っていてもどんなものかわからなくなっていた。帰宅して食事を採り、黙って各々の部屋へ引揚げ、寐る時刻になると勝手にふとんを敷いて寐てしまう。子供達は二階、父母は階下。そして各自に何が起ろうと全く知らない状態であった。子供は親のやり方に一切口出しは出来なかった。たとえば一つの物品を売るにしても、父の消極的な態度で損ばかりしていたけれど、一言でも文句を云えば父は怒り、親を侮辱するなと云った。私達子供は家産がどの位残っていてどんな風な経済状態にあるのかは知らなかった。唯、焼けた私の生家の土地も、本家の邸跡も、六甲の別荘も人手に渡っているらしかった。人の気持が金銭の問題で荒れて来るということは大へん歎かわしいと思った。それに私が女学校を出てから、先生になり度いから上級学校へ行かせてくれと頼んだ時、父母は真向に反対し、女は家で裁縫や料理をするものだとしぶしぶ肯定させられてしまう事件があった。丁度その前に、身体がよくなった姉も更に医者になり度いから医専へ行き度いという申出を拒否されていた。そんなことが益々親子の感情を対立させ疎遠させた。私の姉は、数学が飛びぬけてよく出来、夜通しでも、三角や因数分解をとくことがたのしみの一つだという位、女性に珍しい理科系の頭脳の持主であった。数字をみれば嘔吐したくなる私とは気持の上でも合う筈がなかった。姉はすぐに計算し、計算の上で行動した。私は無鉄砲向う見ずに気分のままで行動した。そしてお互に衝突しながら、衝突した途端に自分をひきさげ、奥までつっこんで行こうとはしなかった。姉もエゴイストであり私もエゴイストであった。
 家庭内の不和を私はかの女の教師に告げて、自分の位置をどうすればよいのか相談した。彼女は常識的に親の意見に従うべきだといつも云った。私は腹立しく思ったが、別に彼女と喧嘩はしなかった。
 そのうちに、学校で私にとって大きな問題が勃発した。一学期の終り近い倫理の時間であった。教師払底の時で、倫理を教える人は教頭という名目だけの凡そ倫理とかけはなれている音楽の教師であった。私は彼を心から軽蔑していた。というのは音楽をやりながら音楽的な感覚を持たない人であったから。彼はピアノをガンガン鳴らした。まるでタイプライターを打っているようだった。又彼のタクトはメトロノームと寸分の変りなく、拍子だけでその中に感情は全くはいっていなかった。その人が、勤続十何年のために教頭の位置にあり、倫理――公民と呼ぶ時間――を教えるのは全く滑稽であった。
 私は彼が黒板に、善悪や意識だとか行動だとかいう文字をかき、それを説明するのをノートにとるのさえ馬鹿げているような気がして、いつも他のことを考えていた。その日もぼんやりしていると、突然、これから二十分間に自己の行為を反省し、善悪を理性で判断し、悪だと思った点を紙に書いて提供せよ。それを倫理の試験の代りにすると云ったらしい。紙がくばられた。私は隣の生徒に何事だと問うた。彼女は彼の云った言葉を忠実に私に伝えた。私は立ち上った。私は立てつづけにべらべらと喋った。私は絶対に嫌だと何度も云ったのだ。生徒はざわついた。彼は渋い顔をした。
「何のためにそんなことをするんですか」
 彼は自己反省は大切なことである、と簡単に云った。私は反省は自分だけでやるものだと云い張った。そしてそれを試験がわりにするなどもっての他だと云った。私の言葉に、彼は更に怒号し、命令だと云った。私はどうしても受け入れないとつっぱった。そして最後には、
「失礼ですが、懺悔僧でもないあなたが、四五十人もの生徒の懺悔をききただしてその負担がどんなに大きいかお気附きじゃありませんか。私は自分の行為は自分で処理します。あなたに告白したところで何にもなりますまい。自分の悪い行為を人に告げてその苦しみが軽くなるようには私には思えません。しかもです、あなたは、たかが音楽教師にすぎないじゃありませんか」
 私はそんなことを長々と喋ったように思われる。彼はピリピリと眉を動かし他の教場にまできこえる位の大声で私をののしった。私はかっとなってますます反対を押し通しだした。他の級友の中で、二三人が私を支持した。
「日記は人にみせるものではありません」
 私へ毎日手紙をくれる瞳の大きい背の低い子がそう云った。他の大勢は半ば彼をおそれ半ばこの事件に時間がつぶれることを喜ぶような表情で私と教師の顔を見比べていた。私は自分の熱い頬に涙が垂れるのを知った。これは少女的な興奮の涙であった。
「悪趣味ですね、人の悪なる行為をききたいとは……」
 私はへんな笑いを浮ばせながら、涙声で云った。私は自分の罪をふっと目の前に浮ばせた。窃盗。カンニング。偽った行動や言葉。私は椅子にどっかり腰をおろした。
「先生。今あなたの満足がゆくように、私が従順に書いたとすれば、答案紙をひろげたあなたは驚愕と恐怖とそして後悔、そうです。あなたは自分の行為に後悔してしまう。たとえば、私が、淫売行為をしたとする……」
 組の中では大きな笑い声が発散した。しかし、この言葉を知らない人の方が多かった。教師は、私にあきれて物が云えないというような表情で私の顔を凝視していた。
「あなたは答案紙に勿論、可、あるいは不可とつけるでしょう。私の心理も、私の行為の動機も知らないで。唯、不可とつけるあなたは、実に無責任なことです。あなたがそこで若し、倫理の教師として考えることをしたならば、不可をつける前に、自分の責任が大きすぎて後悔するでしょう。感情的なおどろきおののきの後で……」
 彼は、非常な怒りでチョークを投げつけ、このことは一時おあずけだというような曖昧な言葉をのこして出て行った。



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送