久坂葉子「華々しき瞬間」(04) (はなばなしきしゅんかん)

久坂葉子「華々しき瞬間」(04)

     三

「ねえ、女史はよしてね」
「どうして突然そんなこと云いだした?」
「あなたは、仲々仮面を取りはずさないみたいよ。だから、私まで女史を意識しなきゃいけないみたいで嫌《いや》。(早く生の彼を発見したいものだわ)」
「じゃあ何て呼ぼう」
「阿難」
「アナン、それ愛称?」
「ううん。誰も阿難とは呼ばないわ。私、ひとりで阿難って自分に名前つけてるの(実は今ふと思いついた名前なのだ。阿難陀は男だったかしら)」
「どうして」
「何となく」
 仁科六郎は両腕に力をいれて、小麦色の肩のあたりを無意識にかんだ。抱かれているのは南原杉子である。
「ねえ、どうして此処へはいったのでしょう」
「わからない」
「あなたらしくないこたえね」
「もののはずみなんだ」
「ますますあなたらしくないわ。(先手をうたれたようだ)もののはずみって度々生じるんでしょう。しかも特定の対象に限らないのだ」
「じゃあ君はどうなんだ」
「阿難と云ってよ。私はもののはずみじゃない(本当はもののはずみかしら)」
「計画していたこと?」
「いやね。まるで、私が誘惑したみたい。唯ね、何かの働きがあって、斯うなったのよ」
「おかしな哲学だ。ロジックがないよ」
「もののはずみこそ、およそ非論理的よ」
 二人は笑った。そして強く抱擁しあった。南原杉子は、強く押しつけられている仁科六郎の唇の感触を、首筋に感じながら、蓬莱和子の存在が、仁科六郎と自分を接近させたことをあらためて考えなおした。蓬莱和子あっての仁科六郎なのだ。
「カレワラのマダムとはあるのでしょう」
「何故」
「だってお互に好きなのでしょう」
 彼女は洋服のスナップをとめながら、仁科六郎にきいてみた。返事はなかった。きいていない風をよそおっているのだと、南原杉子は直感した。

 駅でわかれる時、ふと何か云いたげな素振りをしたが口つぐみ、さっさとふりむきもせずに立去った仁科六郎の後頭部のあたりに、何かつめたさを発見し非常にひきつけられた南原杉子は、電車に乗ってから、瞬間、それがかえってさみしい思いにかわった。そしてあらためて、今日の出来事を思い浮べてみた。
 昨日の今日である。昨日、カレワラへゆき蓬莱女史に会い、その帰りに快感を得て、今日、仁科六郎に今までとちがった感情で会ったのだ。
「今日は私がおそばをさそうわ」
「ゆきましょう」
 そば屋で二時間話をした。大部分が放送の話である。放送は一つの芸術だと仁科六郎は力説した。彼は又、演出がいかなるものか語った。
「小説家は何枚かいてもいいんだし、絵かきはどんな大きさの絵をかいてもいいんだし、映画も演劇も、時間に制限ないのに、放送は時間に制限があるのね。何秒までも。私ぞっとしちゃうわ」
 彼は、時間の制限内に於いて、最も有効に一秒一砂うずめてゆくことが、むずかしいのだし、大切なんだ、と答えた。仕事の話では、お互に自分自身を披露しない。
「のみませんか」
 今度は仁科六郎が誘う。
「では、五時に、約二時間で私の仕事、かたづけます。カレワラで」
 仁科六郎はふっと戸惑ったが結構ですと答えた。南原杉子が、カレワラを指定したのは、蓬莱和子が居たら誘うという了簡ではなかった。彼女は今日不在なのだ。昨日、店の女の子と二三こと立話しているのをきいたのだ。五時から神戸に用があると云っていたのだ。
 南原杉子はダンスのレッスン場へいそいだ。髪毛をばらして、派手にルージュを塗り、五時五分前まで踊りつづけ、髪毛をまとめてカレワラへ来た。仁科六郎は川を眺めていた。仁科六郎の案内で酒場へ行った。酒場の女は、南原杉子を珍しげにみた。そして、言葉を珍しげにきいた。ビールとウィスキーをのんだ。
「女史は独身ですか」
「(みんな同じことに興味があるのね)私、などに誰も申込んでくれませんわ」
「結婚しようと思わないでしょう」
「ええ、まあそうね。私自信がないの」
「おおありの人じゃないですか」
「ちょっとまってよ。自信って、女房の自信がないわけよ」
「何故」
「男の人を安心させることが出来ないようですわ。主婦の務めは寛容でなきゃね。それなのに私はおそろしく我儘ですもの。結婚したら主婦の私は夫にほっとさせる義務があるのに、屹度、いらいらさせるばかりよ」
「経験もないのに」
「自分の性格で推測することは出来る筈」
「じゃ恋愛は」
「します。でも結婚しません」
「恋愛には自信があるのですか」
「あなたは理攻めね。恋をすれば、その日から、自信なんてありませんわ。生きてゆくこと。仕事には自信あってもね。恋をすれば盲目的になります」
「あなたが? 本当ですか」
「本当よ」
 南原杉子は、本当よと云いながらおかしな気がした。彼女は、自分を盲目的な女にならせることが出来るのだから、本当に盲目的になりきるわけではない。そのことに気付いたのだ。
「あなたは恋愛結婚なさったの」
「いや、見合い、一回の」
「何年になるの」
「四年」
「お子さんあるの」
「まだ。ほしいですよ」
 ふと、南原杉子は笑いを洩した。仁科六郎の視線に気付いて、
「いえね、あなたの恋愛はどんなのかと想像したの、可能性の限界を究めた上での恋でしょう。一プラス一は二になるのでしょうね」
「みぬきましたね。確かに一プラス一は二にしなきゃすまされない男です。すべてにおいて」
「詩人じゃないわね。やっぱり放送屋ね」
「あなたはどうです」
「私。自分の行動に計算なんかしないわ。一プラス一がたとい三になっても二に足らなくてもいいわ。割切れないものは確かにあるのですから」
「自分のことで割切れないものがあって、よく、生きてられますね」
「あら、割切れなさがあるから生きているのですわ」
「わからん。わからん」
 南原杉子は、この男と恋愛してはならないように感じた。その時、
「でも僕はあなたが好きになりました。僕は全く知らない世界に住む人のように思えるからでしょうか」
 二人は酒場を出た。
「強いんですね」
「酔えないことは悲しいですわ。少し位、いい気持なんですけど、私、時々、自分をすっかり忘れたくなるんです。前は度々そういうよい心地になることが出来たんですけど。音楽をきいても、景色をみても。でも、駄目になったわ。絶えず自分があるんです」
「僕はもともと人生に酔いを知らない男だけど。物をみる時に決して主観をいれてみませんね。僕は音楽でそれを知った。ノイエザッハリッヒカイトってやつですよ。それは、生き方の解釈法にもなっている」
「強い人ね。悪に於いておや」
 突然、仁科六郎の手と、南原杉子の手がふれあった。握り合った。とあるホテルの前であった。

 南原杉子は下宿の二階で回想を終えた。深夜である。彼女は、完全に仁科六郎を蓬莱和子からきりはなしていた。マダムの存在がなくても、仁科六郎と、ああなった[#「ああなった」に傍点]と思ったのである。愛とは何であろうか。仁科六郎と、彼女自身は理解し合っていない。仁科六郎は、彼女の過去も、そして現在、どんな生活をしているのかも深くはしらない。彼女は、ある部分の彼女をそっとみせたにすぎないのだ。仁科六郎が、三割彼女のことを知ったとしても、実際は一割にもならないのだ。彼女も又、仁科六郎の大部分はわからないのだ。年齢は、三十五六だろうか。結婚して四年目、よくある男の部類か。否、彼女は否定してみた。そして否定したことが、自尊心の故でなく、彼に感じたものが、肉慾をはなれて成立する非常に純粋なものがあると思ったからなのだ。感じるだけでいいのだ。つまり、理解など恋愛には不必要なことである。
 南原杉子は、短くなった煙草を、灰皿にすりつけて、しばらく笑っていた。
 ――仁科六郎にひきつけられてゆく自分、つまり阿難、新しく誕生した阿難を眺めることは、煩雑な乾燥した女史、教師の生活を忘れさせ、本来の自分にかえることだ。それは、自らの慰安であり、インタレストでもあるんだわ――
 南原杉子は、寐間着にきかえて、ふとんを敷いた。
 ――阿難。恋をしなさい。燃えなさい――



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