久坂葉子「灰色の記憶」(18) (はいいろのきおく)

久坂葉子「灰色の記憶」(18)

     エピローグ

 気取ったポーズはしばらく動かないでいたのだが、そのポーズがいくら楽な姿勢であったとしてもいつのまにか又、そこに疲れと窮屈さを見出してしまうものだ。梅雨あけの日光のようにふたたび私は動き出していた。ぎらぎらひかる。早いテンポでまわり出す。二十歳まで。それから二十歳まで私は高くすっきり舞い上ったり、醜悪な寝ころびざまや、急カーヴに堕落したり、又はい上ったりをくりかえした。しかし私はそれを克明に記憶していない。いや記憶していたところで私の現在に近くなればなるほど逆にその私が逃げ出して行く気配をみせる。私はあわててそいつをつかまえようとして力一ぱい手をのばしてふれるのだが、それはくらげのようにつるりと私の手からぬけ出てしまう。
 私の試みは失敗に終った。発作的に起った私のふりむきざまは後少しというところで今の私にぴったり結合することが出来なかった。
 つまり私は死なないでいる。鮮明に今の私に過去の私が連絡したならば、私は容易に死ぬことが可能であるように解釈していたのだ。運命的な死期が近よって来て、いきなり又急回転して遠ざかってしまったのに違いない。勝手な解釈かもしれない。然し私は一つの失望と一つの安堵を感じた。
 私は昨日の私をつかむことが出来ないでいる。昨日の私のポーズの裏付けるものを知ることが出来ないでいる。しかし、私が又何年か生をうけて、その時の自分が現在或いは現在に到達する少し前の自分からかなりの距離が生じた時に、ふたたび私は灰色の記憶をつづけることが出来るであろう。
 結末のないお芝居の幕が降りようとした。その幕が降りきらないうちに観客はあくびをして立ち上った。幕は中途半端なところで中ぶらりんに垂れていた。
            〈昭和二十五年〉



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