久坂葉子「入梅」(3) (にゅうばい)

久坂葉子「入梅」(3)

「いろいろ御世話になりました。何にもお役にたちませんで。ぼっちゃんお元気で。又神戸へ出ました折にはお訪ねいたします。本当にお名残り惜しいことですが……」
 といつもの調子でべらべらしゃべりたてたおはるは玄関で母親と何度も頭をさげた。
「いずれ大きな荷物は田中に取りに寄越しますから」
 母親は、もうおはるのはなしがきまったかのようにその夫となるひとを田中と呼び捨てた。私は思わず苦笑しながら行雄と門まで見送った。おはるは作衛の作の字もいわずに行ってしまった。うらうらとあたたかい二時間、私は何かしらほっとした気持で製作にかかったのだった。
 その夜帰った作衛、私はおはるのことを告げた時の作衛の顔をはっきり覚えている。作衛は確かにおはるの行為を憤った。
「何故俺に一言云って行かなかったんだ。あんまりだ。あんまりだ」
 と作衛はいきりたった。そして作衛は、おはるのこれから先をみてやるといって約束までしたのだと云った。始めは彼に甘えて、疲れるとやれ腰をもめ、脚をさすれといい、作衛はおはるをしんからかわいがって云われた通りにしていたが、そのうちだんだん好くようになったのだと云った。そしておはるも作衛と一生を共にするとまで云ったと附け足した。私はとにかく、「おはるのためにお前はもう黙ってなさい」とこの時はじめて叱った。
「でもあんまりです。一言の挨拶もなしに、行くなんて、わしを何と思っている、わしはおはると……」
 作衛の言葉尻を追究することはどうしても私には出来なかった。それは当然わかっていることだった。その夜、作衛がおはるの居た部屋で長い間しょんぼり坐っているのを見た。死んだおはるの位牌の前に坐っていた作衛よりは、やはり年をとっていた。それからまもなく、おはるの荷物をとりに若い青年が自転車に乗って来た。真面目そうないい感じの人でおはるにはもったいないとさえ思った。丁度、この時も作衛は居らず無事に青年は帰って行った。
 そして一カ月、私は夜もろくに寝ずに出品の製作にはげんだ。昔、夫と一しょにききに行ったコンサートの曲目や、好きな小説を題にしたりして六十点ばかりいろいろこしらえた。幸い、援助して下さる方が二三人いて、布のこと、会場のことなど、すっかり御世話になった。私は「芥川龍之介の秋」という題のセンターが自分では一番気に入った。セピアの中にあいの線を活かしたさびしいものだった。行雄が傍に来て一つのネクタイを指し、これがいいと云ったのは、シューマンの歌曲の中の「うるわしの五月」だった。それは濃いみどりの中にあさいみどりとえんじで木の葉のくずした模様を書いたものだった。夫はシューマンが好きで、私に伴奏を弾かせてよく歌ったりしたものだった。そのピアノも財産税にかわって、とうの昔、お国に差上げたものだったが。
 行雄は夫の感覚を多分に受けついでいるようだった。その事が私をよろこばせ、「うるわしの五月」は夫も好きな曲だったし、行雄が大きくなるまでとっておいてあげようと思った。
 神戸のとあるギャラリーで展覧会及即売会をしたのは、五月のはじめ、ついこの間のことだった。おかげでのこることなくみんなさばけ、文壇人からもおほめの言葉をいただいたりした。そのいそがしさが終った頃、ひょっくりおはるがあらわれて、兵庫に住んでいることを告げた。作衛は折悪く、その時裏で薪割りをしていた。私は二人がどう云い合いをするかびくびくしながら成行きをみていた。作衛はあれ以来、一時すっかりしょげこんでいたが、最近使いに出すと、帰りには必ずのように飲んで来るようになっていた。どこから飲代が出るのかしらと一時は疑ぐったが、それが死んだおはるの着物などであるとすぐに諒解出来た。そして赤くなってふらふらで家までたどりついた作衛は必ずおはるのことを話し、今度会えばころさんばかりのいきおいだったのだ。ところがその日、作衛はおはるを見るとあの時のいきおいはすっかり消えて、何くれ親切に物をたずねたりしているではないか。私は不思議だったけれど喧嘩にならないのがさいわいとほっと安心した。でもそれはその時だけだった。というのは翌日作衛が兵庫のおはるの新家庭を訪問したのである。そのまた翌日おはるが再び家へ来て、私に、それとわかったのだった。思えば作衛は、私の前で口喧嘩したりする事をはばかっていたのだろう。とにかく一大事件が起るにいたった。
 おはるがいうには、自分が勝手で洗濯していたところへ作衛がやって来て、どうしても俺のところへ帰って来いといきりたつ。おはるはどうか今日のところは帰ってくれと口をすっぱくして云ったが作衛はさらに亭主に会うという。きょうは夜勤でおそいし、近所の口もうるさいから何とか帰ってくれとたのんだが帰らない。で、おはるは、じゃ明日必ず行くからとてやっとのことで一応納得させたというのであった。その時、作衛は近所へ配給物をとりに行ってて留守だった。どうして作衛に住所がわかったのかときくと私が教えましたという。



[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送