新島襄 (にいじまじょう)
■新島襄
新島 襄(にいじま じょう、英字表記:Joseph Hardy Neesima、天保14年1月14日(1843年2月12日)〜1890年(明治23年)1月23日)は、明治時代のキリスト教の布教家で、同志社大学の前身となる同志社英学校の創立者。群馬県出身と思われているが、実際は1843年2月12日、江戸の安中藩邸にて生まれる。福沢諭吉らとならび、明治の六大教育家の一人に数えられている。
本名を七五三太(しめた)と言うが、アメリカ合衆国への密航中に潜伏先の船長ホレイス・S・テイラーに「Joe(ジョー)」と呼ばれていたことから以後その名を使い始め、帰国後は「譲」、「襄」と名乗った。
大隈重信と親交があり、現在同志社大学と早稲田大学の間で学生交流(国内留学)があるのはそのためである。
また襄は、1872年3月9日から翌年1月にかけて、岩倉使節団にも参加している。このときに、正式な留学免許状とパスポートを手に入れた。襄はこの使節団で、通訳の仕事に従事した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新島襄
→人に小言を言われたときに腹を立てるな。腹の立った時小言を言うな(新島襄)
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