成瀬仁蔵 (なるせじんぞう)
■成瀬仁蔵
成瀬 仁蔵(なるせ じんぞう、1858年 - 1919年)は、江戸時代後期から明治、大正の教育者である。日本女子大学(日本女子大学校)創設者。父は士族の成瀬小左衛門で長男、母は歌子。
周防国(山口県山口市)に生まれる。藩校の憲章館に学び、明治には1875年に県の教育養成所を卒業し、小学校教員となる。キリスト教宣教師の沢山保羅と知り合い、1877年に入信する。牧師として布教活動する一方で女子教育を研究し、大阪の梅花女学校の教員となる。
90年にはアメリカへ渡り、アンドーヴァー神学校、クラーク大学で教育学、キリスト教などを学び、女子教育研究を行う。94年に帰国して、梅花女学校校長も務める。1901年に日本女子大学を創設する。
●著作
『女子教育』
『進歩と教育』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
成瀬仁蔵
→聴くことを多くし、語ることを少なくし、行なうことに力を注ぐべし
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