世界怪談名作集02 貸家(01) (かしや)
世界怪談名作集02 貸家(01)
リットン Edward George Earle Bulwer-Lytton
岡本綺堂訳
一
わたしの友達――著述家で哲学者である男が、ある日、冗談と真面目と半分まじりな調子で、わたしに話した。
「われわれは最近思いもつかないことに出逢ったよ。ロンドンのまんなかに化《ば》け物《もの》屋敷を見つけたぜ」
「ほんとうか。何が出る。……幽霊か」
「さあ、たしかな返事はできないが、僕の知っているのはまずこれだけのことだ。六週間以前に、家内と僕とが二人連れで、家具付きのアパートメントをさがしに出て、ある閑静な町をとおると、窓に家具付き貸間という札《ふだ》が貼ってある家を見つけたのだ。場所もわれわれに適当であると思ったので、はいってみると部屋も気に入った。そこでまず一週間の約束で借りる約束をしたのだが……。三日目に立ちのいてしまった。誰がどう言ったって、家内はもうその家にいるのは忌《いや》だという。それも無理はないのだ」
「君は何か見たのか」
「別にいろいろの不思議を見たり聞いたりしたわけでもないのだが、家具のないある部屋の前を通ると、なんとも説明することの出来ない一種の凄気《せいき》にうたれるのだ。但《ただ》し、その部屋で何も見えたのではなし、聞こえたのでもないが……。そこで、僕は四日目の朝、その家の番をしている女を呼んで、あの部屋は何分《なにぶん》われわれに適当しないから、約束の一週間の終わるまでここにいることは出来ないと言い聞かせると、女は平気でこう言うのだ。
〈わたしはその訳《わけ》を知っています。それでもあなたがたはほかの人たちよりも長くいたほうです。ふた晩辛抱する人さえ少ないくらいで、三晩泊まっていたのはあなたがたが初めてです。それも恐らくあの連中があなたがたに好意を持ったせいでしょう〉
なんだかおかしな返事だから、僕は笑いながら〈あの連中とはなんだ〉と訊《き》いてみると、女はまたこう言うのだ。
〈なんだか知りませんが、ここの家《うち》に執《と》り着いている者です。わたしは遠い昔からあの連中を識っています。その頃わたしは奉公人ではなしに、ここの家に住んでいたことがあるのです。あの連中はいずれ私を殺すだろうと思っていますが、そんなことは構《かま》いません。わたしはこの通りの年寄りですから、どの道《みち》やがて死ぬからだです。死ねばあの連中と一緒になって、やはりこの家に住んでいることが出来るのです〉
いや、どうも驚いたね。女はそんなことを実に怖ろしいほど平気で話しているのだ。僕は薄気味が悪くなって、もう何も話す元気がなくなったので、早《そう》そうに立ち去ってしまった。もちろん約束通りに一週間分の間代《まだい》を払って来たが、そのくらいのことで逃げ出せれば廉《やす》いものさ」
「不思議だね」と、わたしは言った。「そう聞くと、僕はぜひその化け物屋敷に寝てみたいよ。君が不名誉の退却をしたという、その家のありかを後生《ごしょう》だから教えてくれないか」
友達はそのありかを教えてくれた。彼に別れたのち、わたしはまっすぐにかの化け物屋敷だという家へたずねて行くと、その家はオックスフォード・ストリートの北側で、陰気ではあるが家並《やなみ》の悪くない抜け道にあったが、家はまったく閉《し》め切って、窓に貸間の札もみえない。戸を叩いても返事がない。仕方がなしに引っ返そうとすると、となりの空地にビールの配達が白い金属の鑵《かん》をあつめていて、わたしのほうを見かえりながら声をかけた。
「あなたはそこの家で誰かをお尋《たず》ねなさるんですか」
「むむ。貸家があるということを聞いたので……」
「貸家ですか。そこはJさんが雇い婆さんに一週間一ポンドずつやって、窓の開《あ》け閉《た》てをさせていたんですがね。もういけませんよ」
「いけない。なぜだね」
「その家は何かに祟《たた》られているんですよ。雇い婆さんは眼を大きくあいたままで、寝床のなかに死んでいたんです。世間の評判じゃあ、化け物に絞《し》め殺されたんだと言いますが……」
「ふむう。そのJさんというのは、この家の持ち主かね」
「そうです」
「どこに住んでいるね」
「G町です」と、配達はその番地をも教えてくれた。
わたしは彼にいくらかの心付けをやって、それから教えられた所へたずねて行くと、主人のJ氏は都合よく在宅であった。J氏はもう初老を過ぎた人で、理智に富んでいるらしい風貌と、人好きのするような態度をそなえていた。
正直に自分の姓名と職業とを明かした上で、わたしはかの貸間の家に何かの祟りがあるらしく思われるということを話した。そうして、わたしはぜひその家を探険してみたいから、ひと晩でもいいからどうぞ貸してくれまいか。それを承知してくれれば、お望み通りの金を払うと言った。
J氏はそれに対して、非常に丁寧に答えた。
「よろしゅうございます。あなたのご用の済むまでお貸し申しましょう。家賃などはどうでもかまいません。あの婆さんは宿《やど》なしの貧乏人で養育院にいたのを、わたしが引き取って来たのです。あの婆さんは子供の時にわたしの家族のある者と知り合いであったと言いますし、またその以前は都合がよくって、わたしの叔父からあの家を借りて住んでいたこともあるというので、それらの関係からわたしが引き取って番人に雇っておいたのですが、可哀そうに三週間前に死んでしまいました。あの婆さんは高等の教育もあり、気性もしっかりした女で、わたしが今まで連れて来た番人のうちで無事にあの家に踏みとどまっていたのは、あの女ばかりでした。それが今度死んで、しかも突然に死んだものですから、検視が来るなどという騒ぎになって、近所でもいろいろの忌《いや》な噂を立てます。したがって、そのかわりの番人を見つけるのも困難ですし、もちろん借り手もあるまいと思いますから、今後一年間はその人がすべての税金さえ納めてくれればいいという約束で、無代《ただ》で誰にでも貸そうと考えているのです」
「いったい、いつごろからそんな評判が立つようになったのです」
「それは確かには申されませんが、もうよほど以前からのことです。唯今《ただいま》お話し申した婆さんが借りていた時、すなわち三十年前から四十年前のあいだだそうですが、すでにそのころから怪しいことがあったといいます。わたしが覚えてからでも、あの家に三日とつづけて住んでいた人はありません。その怪談はいろいろですから、いちいちにそのお話をすることは出来ませんし、また、そのお話をしてあなたに何かの予覚をあたえるよりも、あなた自身があの家へ入り込んで直接にご判断なさるほうがよろしかろうと思います。ただ、なにかしら見えるかもしれない、聞こえるかもしれないというお覚悟で、あなたがご随意に警戒をなさればよろしいのです」
「あなたはあの家に、一夜を明かそうというような好奇心をお持ちになったことはありませんか」
「一夜を明かしたことはありませんが、真っ昼間に三時間ほど、たった一人であの家のなかにいたことがあります。わたしの好奇心は満足されませんでしたが、その好奇心も消滅して、ふたたび経験を新たにする気も出なくなりました。と申したら、なぜ十分に探究しないかとおっしゃるかもしれませんが、それにはまた訳《わけ》があるのです。そこで、あなたもこの一件について非常に興味を持ち、また、あなたの神経が非常に強いというのであれば格別、さもなければあの家で一夜を明かすということは、まあ、お考えになったほうがよろしくはないかと思います」
「いや、わたしは非常の興味を持っているのです」と、私は言った。「臆病者はともかくも、わたしの神経はいかなる危険にも馴れています。化け物屋敷でも驚きません」
J氏も深くは言わないで、用箪笥《ようだんす》から鍵をとり出して私に渡してくれた。その腹蔵《ふくぞう》のない態度にわたしは衷心《ちゅうしん》から感謝し、また、わたしの希望に対して紳士的の許可をあたえてくれたことをも感謝して、わたしは自分の望むものを手に入れることになった。そうなると気が急《せ》くので、わたしはひとまず我が家へ戻るやいなや、日ごろ自分が信用しているFという雇い人を呼んだ。彼は年も若いし、快活で、物を恐れぬ性質で、わたしの知っている中では最も迷信的の偏見《へんけん》などを持っていない人間であった。
「おい、おまえも覚えているだろう」と、わたしは言った。「ドイツにいるときに、古い城のなかへ首のない化け物が出るというので、その幽霊を見つけに行ったところが、何事もないので失望したことがある。ところが、今度はお望み通り、ロンドンの市中で確かに化け物の出る家のあることを聞いたのだ。おれは今夜そこへ泊まりに行くつもりだ。おれの聞いたところによると、そこの家には確かに何かが見えるか聞こえるかするのだ。その何かがすこぶる怖ろしい物らしい。そこで、おまえが一緒に行ってくれれば、何事が起こっても非常に気丈夫だと思うのだが、どうだろう」
「よろしい、旦那。わたくしをお連れください」と、彼は歯をむき出して愉快そうに笑った。
「では、ここにその家《いえ》の鍵がある。これがその所在地だ。これを持ってすぐに行って、おまえのいいと思う部屋へおれの寝床を用意しておいてくれ。それから幾週間も空家《あきや》になっていたのだから、ストーブの火をよくおこしてくれ。寝床へも空気を入れるようにしてくれ。もちろん、そこに蝋燭《ろうそく》や焚《た》き物があるかどうだか見てくれ。おれの短銃《ピストル》と匕首《あいくち》も持って行ってくれ。おれの武器はそれでたくさんだ。おまえも同じように武装して行け。たとい一ダースの幽霊が出て来たからといって、それと勝負をすることが出来ないようでは、英国人のつらよごしだぞ」
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