世界怪談名作集02 貸家(06) (かしや)
世界怪談名作集02 貸家(06)
そこを出て、さらに家主のJ氏をたずねると、彼はあたかも在宅であった。わたしは鍵を返した上で、わたしの好奇心は十分に満足したことを話した。そうして、ゆうべの出来事を口早に話しかけると、J氏はそれをさえぎって、しょせん誰にも解決のつかないような怪談について、自分は最早《もはや》興味を持たないと丁寧にことわった。しかし、かの二通の手紙の事と、またそれが不思議に消え失せたことだけは報告しておかなければならないと思ったので、わたしはJ氏にむかって、かの手紙は、かの家で死んだ老婆に宛てたものであると考えられるが、かの老婆が過去の経歴のうちには手紙にあらわれているような暗い秘密をかくしていると思われる節があるかと質問すると、J氏は驚いたように見えた。彼はしばらく考えたのちに、こう答えた。
「さきにお話し申した通り、あの婆さんがわたしのほうの知り合いであるという以外、その若いときの経歴などについては、あまりよく知らないのです。しかしあなたのお話を伺って、おぼろげな追憶を呼び起こすようにもなりましたから、わたしは更に聞き合わせて、その結果をご報告しましょう。それにしても、ここに一人の犯罪者または犯罪の犠牲者があって、その霊魂が犯罪の行なわれた場所へ再び立ち戻って来るという、世間一般の迷信を承認するとしても、あの婆さんの死ぬ前からあの家に不思議の物が見えたり、不思議な音が聞こえたりしたのはどういうわけでしょうか。……あなたは笑っていられるが、それにはどういうご意見がありますか」
「もし、われわれがこの秘密の底深くまで進んで行ったら、生きている人間の働いていることを発見するだろうと思われます」
「え、なんとおっしゃる。では、あなたはすべてのことが詐欺《いかさま》だと言われるのですか。どうしてそんなことが分かりました」
「いや、詐欺というのとは違います。たとえば、わたしが突然に深い睡眠状態におちいって――それはあなたが揺り起こすことの出来ないような深い睡眠状態におちいったとして、その時わたしは眼ざめた後に訴えることの出来ないほど正確に、あなたの問いに答えることが出来ます。すなわちあなたのポケットにはいくらの金を持っているとか、あなたは何を考えているとか……そういうたぐいのことは詐欺というべきではなく、むしろ無理にしいられた一種の超自然的の作用ともいうべきものです。わたしは自分の知らないあいだに、遠方からある人間に催眠術をほどこされて、その交感関係に支配されていたのだと思うのです」
「かりに催眠術師が生きた人間に対してそういう感応《かんのう》をあたえ得るとしても、生きていないもの……すなわち椅子やドアのような物に対して、それを動かしたり、あけたりしめたりすることが出来るでしょうか」
「実際はそうでなくして、そういうふうに思わせるのかもしれません。普通に催眠術と称せられるものでは、もちろん、そんなことは出来ませんが、催眠術師のうちにも、一種の血統があるか、あるいはその術の特に優れた者か、それらのうちには昔でいう魔術に似たような不思議の力を持っている者がないとは限りません。その力が果たして生《しょう》なき物にまで働き得るかどうかは知りませんが、もしそんなことがあったとしても、あえて不自然とは言われまいかと思われます。もちろん、それはこの世の中にはなはだ少ないことで、その人は特殊の体質を持って生まれ、特殊の実験を積んで、その術の最高極度に到達したものと見なければなりません。その力が死んだ者の上に……詳しくいえば、死んだ者にもまだ残っているある思想とか、ある記憶とかいうものの上に働くのです。そうして、正しくは霊魂というべきものではなく、最も地上に近い一種の霊気がわれわれの感覚にあらわれて来るようになるのです。しかし私はそれをもって、真の超自然的の力とは認めません。それを説明するために、パラセルサス(スイスの医師、博物学者、十六世紀初年の人)の著作『文学上の奇観』の一節を申し上げましょう。
ここに一つの花があって、人がそれを焼けば枯れて焼けうせる。その花の元素が何であろうとも、どこかへ消散してしまって、それを見受けることも出来ず、ふたたび集めることも出来ない。しかし化学的に研究すれば、その花の焼けた灰や埃《ごみ》の中からは、生きているときと同様のスペクトル(分光)を発見することが出来るのである。人間も同じことで、霊魂は花の本体または元素のごとくに離れ去っても、それにスペクトルが残っている。普通の人はそれを霊魂と信じているけれども、それをまことの霊魂と混同してはならない。それは死人の幻影ともいうべきものである。それであるから、古来の怪談に伝えられるところのものには、まことの霊魂が宿っているのではなく、よく分離したる知識のみだと思えばよい。これらの幽霊ともいうべきものは、多少の目的があって出現することもあり、またはなんの目的もなくして現われることもある。かれらは稀に口をきくこともあるが、別になんの思想を発表するわけでもない。したがって、たといその幻影がいかに驚くべきものであっても、哲学の本分としては、超自然的の不思議な物でもないとして拒否すべきである。かれらは人間の死にぎわにその頭脳から他へ運ばれたところの思想に過ぎない。
――まずこんな議論であろうとして、ゆうべの出来事を考えると、テーブルが自然にあるき出したのも、怪物のような形が壁に映ったのも、人間の手ばかりが出て来て、そこにある物を持ち去ったのも、または黒い物があらわれたのも、たといそれがわれわれの血を凍らせるほどの怖ろしい出来事であったとしても、そこにはある種の仲介者があって、あたかも電気の線のごとくに、他の頭脳からわたしの頭脳へ流通させたものであると信じられるのです。
人間は体質によって自然に化学的に出来ている者がある、そうした人間は化学的の驚異を現ずることが出来ます。また、液体的(普通に電気という)の人間は発電の不思議を見せることも出来るのです。
そこで、ゆうべ私が見たり聞いたりしたすべてのことは、人間……私とおなじように生きている人間が、遠方から何かの仕事をしているのであって、本人自身も知らないほどにいい効果を生じたのであろうと思われます。要するに、その人間がある死人の頭脳を利用しているのであって、頭脳それ自身は単に夢を見ているに過ぎないのです。しかしその力は非常に強大なもので、その物質的の力はわたしの犬を殺したほどです。わたしも恐怖のために屈伏したらば、犬とおなじように殺されたでしょう」
「あなたの犬を殺しましたか。それは怖ろしいことです」と、J氏は言った。「なるほどそう言えばあの家に動物は棲んでいません。猫一匹も見えません。鼠も見たことはありません」
「強烈なる獣性の創造力がそれらの動物を殺すほどの影響をあたえるのですが、人間は他の動物よりも更に強い抵抗力を持っているのです。まずそれはそれとして、あなたは私の理論をご諒解《りょうかい》になりましたか」
「まず大抵は……。失礼ながらお蔭さまで、多少の手がかりを得ました。われわれが子供部屋にいるときから沁みこんでいる幽霊や化け物に対する概念を、ただそのままに受け入れるよりも、むしろあなたのお説に従うべきでしょう。しかし議論は議論として、わたしの貸家に悪いことのあるのはどうにもなりません。そこで一体《いったい》あの家をどうしたらいいでしょうか」
「こうしたらどうです。わたしの泊まった寝室のドアと直角になっている、家具のない小さい部屋が怪しいように思われます。あの部屋があの家に祟《たた》りをなす一種の感動力の出発点か、または置き所だと認められますから、私はぜひあなたにお勧め申して、あすこの壁を取りのけ、あすこの床をはずしたいのです。そうでなければ、あの部屋をみな取り毀《こわ》してしまうのです。あの部屋は建物の総体から離れて、小さい裏庭の上に作られているのですから、あれを動かしたところで、建物の他の部分にはなんにも差支《さしつか》えはありますまい」
「そこで、わたしがその通りにしましたらば……」
「まず電信線を切りはずすのです。それをやってご覧なさい。もしその作業の指揮をわたしに任せて下さるなら、わたしがその工事費の半額を支払います」
「いや、それは私がみな負担します。その余のことは、書面で申し上げましょう」
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