世界怪談名作集02 貸家(07) (かしや)

世界怪談名作集02 貸家(07)

       四

 それから十日ほどの後に、わたしはJ氏からの手紙をうけとった。
 その報告によると、彼はわたしが帰ったあとで、かの家へ見廻りに行った。そうして、かの二通の手紙が再びもとの抽斗《ひきだし》に戻っているのを発見したので、彼もわたしと同じような疑いをもって読んだ。それからまた、わたしが推測した通りに、かの手紙の受け取り人であるらしい老婆の身の上を念入りに調べはじめると、手紙の日付けの一年前、すなわち今から三十六年前に彼女は親族の意志にさからって結婚した。男はアメリカ生まれのすこぶる怪しい人物で、世間からは海賊であると認められていた。彼女は信用の厚い商人の娘で、結婚するまでは乳母に育てられていたほどの身分であった。また、彼女には男やもめの兄があって、それはおそらく金持であったらしく、その当時六歳ぐらいの子供を持っていたのである。彼女が結婚してから一カ月の後、その兄の死骸がテームス河のロンドン橋に近いところで発見されて、死骸の咽喉部には暴力を加えたらしい形跡が見えたが、特に検視を求めるというほどの有力の証拠にもならず、結局は溺死ということで終わった。
 アメリカ人とその妻は死んだ兄の遺言状によって、その一人の孤児の後見人となった。そうして、その子供が死んだために、妻がその財産を相続した。但《ただ》し、その子供はわずかに六カ月の後《のち》に死んだので、おそらく後見人夫婦のために冷遇と虐待を受けたせいであろうと想像された。近所の者は夜なかに子供の泣き叫ぶ声を聞いたことがあると証明した。またその死体を検査した医師は、営養欠乏のために死亡したのだといい、しかもその全身にはなまなましい紫斑《しはん》の痕《あと》が残っていたと言った。なんでもある冬の夜に、子供はそこを逃げ去ろうとして、裏庭まで這《は》い出して、塀を登ろうとして、疲れて倒れて、あくる朝になって石の上に死んでいるのを発見されたものであるらしい。しかし、そこに虐待の証拠はいくらか認められても、その子供を殺したという証拠はなんにも認められないのである。
 彼の叔母とその夫はその残酷の行為に対して、子供が非常に強情であるのを矯正するがためであったと弁解した。そうして、彼は半気ちがいのような片意地者であったと説明した。いずれにしても、この孤児の死によって、叔母は自分の兄の財産を相続したのであった。
 結婚の第一年が過ぎないうちに、かのアメリカ人はにわかに英国を立ち去って、それぎり再び帰って来なかった。彼はそれから二年の後、大西洋で難破した船に乗り合わせていたのである。
 こうして未亡人とはなったが、彼女は豊かに暮らしていた。しかもいろいろの災厄が彼女の上に落ちかかって来て、預金の銀行は倒れる、投資の事業は失敗するという始末で、とうとう無産者となってしまった。それからいろいろの勤めに出たが、まただんだんに零落して、貸家の監督から更に下女奉公にまで出るようになった。彼女の性質を別に悪いという者もないのであるが、どこへ行ってもその奉公が長くつづかなかった。彼女は沈着で、正直で、ことにその行儀がいいのを認められていながら、どうも彼女を推薦する者がなかった。そうして、ついに養育院に落ち込んだのを、J氏が引き取って来て貸家の番人に雇い入れたのである。その貸家は彼女が結婚生活の第一年に、一家の主婦として借り受けた家であった。
 J氏はそのあとへ、こういうことを付け加えて来た。
 わたしが打ち毀せと勧めたかの部屋に、J氏はただひとりで一時間を過ごしたが、別になんにも見えるでもなく、聞こえるでもないにもかかわらず、彼は非常の恐怖を感じたので、断然わたしの注意にしたがって、その壁をめくり、床を剥《は》がすことに決心して、すでにその職人とも約束しておいたから、わたしの指定の日から工事に着手するというのであった。

 そこで時間をとりきめて、わたしはかの化け物屋敷へ行った。私たちは窓のないがらんどうの部屋へはいって、建物の幅木《はばき》を取りのけ、それから床板《ゆかいた》をめくると、垂木《たるき》の下に屑をもっておおわれた刎《は》ね上げの戸が発見された。そのかくし鈴《ベル》は人間が楽にはいられるくらいの大きさで、鉄の締金《しめがね》と鋲《びょう》とで厳重に釘付けにされていた。それらをはずして、下の部屋へ降りてみると、その構造には別に怪しいところもなく、そこには窓も烟出《けむだ》しもあったが、それらは煉瓦で塗り固められて、すでに多年を経たものであることが明らかに見られた。
 蝋燭の火をたよりにそこらを検査すると、おなじ型の家具――三脚の椅子、一脚の槲《かしわ》の木の長椅子、一脚のテーブル、それらはほとんど八十年前の形式の物であった。壁にむかって抽斗《ひきだし》つきの箱があって、その箱から八十年前または百年前に、相当の地位を占めていた紳士が着用したのであろうと思われる、男の衣服の附属品の半ば腐朽しているのを発見した。
 高価な鋼鉄のボタンや帯留めや、それらは宮中服の附属品であるらしく、ほかに立派な宮中用らしい帯剣とチョッキ、そのチョッキは金の編み絲で華麗に飾られていたらしいが、今はもう黒くなって湿《しめ》っていた。それから五ギニアの金と少しばかりの銀貨と、象牙の入場券――これはおそらく遠い昔の宴会か何かのときの物であろう――などが現われたが、私たちの主要なる発見は壁に取り付けてある鉄の金庫のようなもので、その錠をあけるのはなかなか困難であった。
 この金庫には三つの棚と二つの抽斗があって、棚の上には密封したガラス罎がたくさんにならんでいた。その罎には無色の揮発性の物を貯わえてあって、それはなんだかわからない。そのうちに燐とアンモニアの幾分を含んでいるが、別に有毒性の物ではなかったと言い得るだけのことである。そこにはまた、すこぶる珍らしいガラスの管《くだ》と、結晶石の大きい凝塊《かたまり》と、小さい点のある鉄の綱と、琥珀《こはく》と、非常に有力な天然磁石とが発見された。
 一つの抽斗からは、金ぶちの肖像画があらわれた。密画に描いたもので、おそらく多年ここにあったと思われるにもかかわらず、その色彩は眼に立つほどの新しさを保っていた。肖像はやや中年にすすんだ、四十七、八歳ぐらいの男であった。
 その男は特徴のある顔――はなはだ強い印象をあたえる顔で、それをくどくどと説明するよりも、ある大きい蟒蛇《うわばみ》が人間に化けた時、すなわちその外形は人間にして蟒蛇のタイプであるといったらば、諸君にも大かた想像がつくであろう。前頭の広さと平ったさ、怖ろしい口の力をかくしているような細さと優しさ、翠玉《エメラルド》のごとくに青く輝いている長く大きい物凄い眼――更にまた、自己の大なる力を信ずるような、一種の無慈悲な落ちつきかた――。
 わたしはその裏をあらためてみようと思って、機械的にその肖像画を裏がえすと、そこにはペンタクル(五芒星形)が彫刻してあった。ペンタクルの中央には階子《はしご》の形があって、その三段目には一七六五年と記されていた。さらに精密に検査しているうちに、わたしは弾機《ばね》を発見した。その弾機を押すと、額《がく》のうしろは蓋《ふた》のように開いた。その蓋の裏には「マリアナが汝《なんじ》に命ず。生くる時も死せる時も――に忠実なれ」と彫刻してあった。
 誰に忠実なれというのか、その人の名はここにしるさないが、それは私にも心当たりがないではなかった。わたしは子供のときに老人から聞かされたことがある。かれは人の眼をくらます偽《にせ》学者で、自分の家のなかで自分の妻とその恋がたきとを殺して逃走したために、約一年間もロンドン市中を騒がしたのであった。しかし、わたしはそれをJ氏に語るのを厭《いと》うて、そのまま額の裏をとじてしまった。
 金庫のうちの第一の抽斗をあけるのは、別にむずかしくもなかったが、第二の抽斗をあけるには非常に困った。錠をおろしてあるのではないが、どうしてもあかないので、結局その隙間《すきま》へ鑿《のみ》の刃を挿《さ》し込んで、ようようにこじあけると、抽斗のなかには、はなはだ簡単な化学機械が順序正しくならんでいた。
 小さな薄い書物――むしろ書板《タブレット》というべき物の上に、ガラスの皿を置いてあって、その皿には清らかな液体がみたされていた。液体の上には磁石のような物が浮かんでいて、その磁石の針は急速に廻転するのであった。しかし普通の磁石が示す方向とはちがって、天文学者が惑星を指示するものとあまり異っていない七つの奇妙な文字がしるされていた。抽斗は木でしきられていて、それが榛《はん》の木のたぐいであることを後に知ったが、その抽斗の中から一種特別な、しかも強烈でもなく、また不愉快でもないような匂いが発して来た。
 その匂いの原因はなんであるか知らないが、とにかくにそれが人間の神経に感じるもので、J氏と私ばかりでなく、この部屋に居あわせた二人の職人も、指のさきから髪の毛の根までがうずくように感じたのであった。
 タブレットの詮議を急ぐので、わたしはその皿を取りのけると、磁石の針は非常の急速力をもって廻転をはじめて、私は思わずその皿を床の上に取り落としてしまうほどに、全身に一種の衝動《ショック》を感じた。皿が毀《こわ》れると、液体も流れ出して、磁石は部屋の隅にころがった。――と思うと、その瞬間に、あたかも巨人の手をもって揺すぶるように、四方の壁があちらこちらへと揺れ出した。
 職人たちはおどろいて、初めにこの部屋へ降りて来たところの階子《はしご》へ逃げあがったが、それぎりで何事も起こらないのを見て、安心して再び降りて来た。
 やがて私がタブレットをひらくと、それは銀の止め金の付いた普通の赤いなめし[#「なめし」に傍点]皮に巻かれていて、そのなかにはただ一枚の厚い皮紙を入れてあった。皮には二重のペンタクルが書いてあって、そのなかに昔の僧侶が書いたらしい語がしるしてあった。それを翻訳すると、こうである。
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――この壁に近づく者は、有情と非情と、生けると死せるとを問わず、この針の動くが如くにわが意思は働く。この家に呪いあれ。ここに住む者は不安なれ――
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 そのほかにはなんにもなかった。J氏はそのタブレットと呪文を焼き捨て、さらにその秘密の部屋とその上の寝室とをあわせて、土台下からすべて切り取ってしまった。そこでJ氏も勇気が出て、彼自身がこの家に一カ月ほども平気で住んだ。
 そうなると、こんな閑静な、居ごこちのいい家《いえ》はロンドンじゅうにもめったにないというので、彼は相当に儲けて貸すことになったが、借家人はけっして苦情を言わなかった。





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