世界怪談名作集04 妖物(01) (ダムドシング)
世界怪談名作集04 妖物(01)
アンブローズ・ビヤース Ambrose Bierce
岡本綺堂訳
一
粗木《あらき》のテーブルの片隅に置かれてあるあぶら蝋燭の光りを頼りに、一人の男が書物に何か書いてあるのを読んでいた。それはひどく摺り切れた古い計算帳で、その男は燈火《あかり》によく照らして視るために、時どきにそのページを蝋燭の側へ近寄せるので、火をさえぎる書物の影が部屋の半分をおぼろにして、そこにいる幾人かの顔や形を暗くした。書物を読んでいる男のほかに、そこには八人の男がいるのである。
そのうちの七人は動かず、物言わず、あらけずりの丸太の壁にむかって腰をかけていたが、部屋が狭いので、どの人もテーブルから遠く離れていなかった。かれらが手を伸ばせば八人目の男のからだに触れることが出来るのである。その男というのは、顔を仰向けて、半身を敷布《シーツ》におおわれて、両腕をからだのそばに伸ばして、テーブルの上に横たわっていた。彼は死んでいるのである。
書物にむかっている男は声を出して読んでいるのではなかった。ほかの者も口をきかなかった。すべての人が来たるべき何事かを待っている様子で、死んだ人ばかりが待つこともなしに眠っているのである。外は真の闇で、窓の代りにあけてある壁の穴から荒野の夜の聞き慣れないひびきが伝わって来た。遠くきこえる狼のなんともいえないように長い尾をひいて吠える声、木立ちのなかで休みなしに鳴く虫の静かに浪打つようなむせび声、昼の鳥とはまったく違っている夜鳥《ナイトバード》の怪しい叫び声、めくら滅法界《めっぽうかい》に飛んでくる大きい甲虫《かぶとむし》の唸り声、殊《こと》にこれらの小さい虫の合奏曲《コーラス》が突然やんで半分しかきこえない時には、なにかの秘密を覚《さと》らせるようにも思われた。
しかし、ここに集まっている人びとはそんなことを気にとめる者もなかった。ここの一団が実際的の必要を認めないことに興味を有していないのは、たった一つの暗い蝋燭に照らされている、かれらの粗野なる顔つきをみても明らかであった。かれらは皆この近所の人びと、すなわち農夫や樵夫《きこり》であった。
書物を読んでいる人だけは少し違っていた。人は彼をさして、世間を広くわたって来た人であると言っているが、それにもかかわらず、その風俗は周囲の人びとと同じ仲間であることを証明していた。彼の上衣《うわぎ》はサンフランシスコでは通用しそうもない型で、履き物も町で作られた物ではなく、自分のそばの床に置いてある帽子――この中で帽子をかぶっていないのは彼一人である――は、もしも単にそれを人間の装飾品と考えたらば大間違いになりそうな代物《しろもの》であった。彼の容貌は職権を有する人に適当するように、自然に馴らされたのか、あるいは強《し》いて粧《よそお》っているのか知らないが、一方に厳正を示すとともに、むしろ人好きのするようなふうであった。なぜというに、彼は検屍官《けんしかん》である。彼がいま読んでいる書物を取り上げたのもその職権に因《よ》るもので、書物はこの事件を取り調べているうちに死人の小屋の中から発見されたのであった。審問《しんもん》は今この小屋で開かれている。
検屍官はその書物を読み終わって、それを自分のポケットに入れた。その時に入り口の戸が押しあけられて、一人の青年がはいって来た。彼は明らかにここらの山家《やまが》に生まれた者ではなく、ここらに育った者でもなく、町に住んでいる人びとと同じような服装をしていた。しかも遠路を歩いて来たように、その着物は埃《ほこり》だらけになっていた。実際、彼は審問に応ずるために、馬を飛ばして急いで来たのであった。
それを見て、検屍官は会釈《えしゃく》したが、ほかの者は誰も挨拶しなかった。
「あなたの見えるのを待っていました」と、検屍官は言った。「今夜のうちにこの事件を片付けてしまわなければなりません」
青年はほほえみながら答えた。
「お待たせ申して相済みません。私は外へ出ていました。……あなたの喚問《かんもん》を避けるためではなく、その話をするために、たぶん呼び返されるだろうと思われる事件を原稿に書いて、わたしの新聞社へ郵送するために出かけたのです」
検屍官も微笑した。
「あなたが自分の新聞社へ送ったという記事は、おそらくこれから宣誓の上でわれわれに話していただくこととは違いましょう」
「それはご随意に」と、相手はやや熱したように、その顔を紅《あか》くして言った。「わたしは複写紙を用いて、新聞社へ送った記事の写しを持って来ました。しかし、それが信用できないような事件であるので、普通の新聞記事のようには書いてありません、むしろ小説体に書いてあるのですが、宣誓の上でそれを私の証言の一部と認めていただいてよろしいのです」
「しかし、あなたは信用できないというではありませんか」
「いや、それはあなたに係《かか》り合いのないことで、わたしが本当だといって宣誓すればいいのでしょう」
検屍官はその眼を床《ゆか》の上に落として、しばらく黙っていると、小屋のなかにいる他の人びとは小声で何か話し始めたが、やはりその眼は死骸の上を離れなかった。検屍官はやがて眼をあげて宣告した。
「それではふたたび審問を開きます」
人びとは脱帽した。証人は宣誓した。
「あなたの名は……」と、検屍官は訊いた。
「ウィリアム・ハーカー」
「年齢は……」
「二十七歳」
「あなたは死人のヒュウ・モルガンを識《し》っていますか」
「はい」
「モルガンの死んだ時、あなたも一緒にいましたか」
「そのそばにいました」
「あなたの見ている前でどんなことがありましたか。それをお訊《たず》ね申したいのです」
「わたくしは銃猟や魚釣りをするために、ここへモルガンを尋《たず》ねて来たのです。もっとも、そればかりでなく、わたくしは彼について、その寂しい山村生活を研究しようと思ったのです。彼は小説の人物としてはいいモデルのように見えました。わたくしは時どきに物語《ストーリー》をかくのです」
「わたしも時どきに読みますよ」
「それはありがとうございます」
「いや、一般のストーリーを読むというので……。あなたのではありません」
陪審官のある者は笑い出した。陰惨なる背景に対して、ユーモアは非常に明かるい気分をつくるものである。戦闘中の軍人はよく笑い、死人の部屋における一つの冗談はよくおどろきに打ち勝つことがある。
「この人の死の状況を話してください」と、検屍官は言った。「あなたの随意に、筆記帳でも控え帳でもお使いなすってよろしい」
証人はその意を諒《りょう》して、胸のポケットから原稿をとり出した。彼はそれを蝋燭の火に近寄せて、自分がこれから読もうとするところを見いだすまで、その幾枚を繰っていた。
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