世界怪談名作集04 妖物(02) (ダムドシング)

世界怪談名作集04 妖物(02)

       二

 ――われらがこの家を出《いで》たる時、日はいまだ昇らざりき。われらは鶉《うずら》を猟《あさ》らんがために、手に手に散弾銃をたずさえて、ただ一頭の犬をひけり。
 最もよき場所は畔《あぜ》を越えたるところに在り、とモルガンは指さして教えたれば、われらは低き槲《かしわ》の林をゆき過ぎて、草むらに沿うて行きぬ。路の片側にはやや平らかなる土地ありて、野生の燕麦《からすむぎ》をもって深く掩《おお》われたり。われらが林を出《いで》て、モルガンは五、六ヤードも前進せる時、やや前方に当たれる右側のすこしく隔たりたるところに、獣《けもの》のたぐいが藪《やぶ》を突き進むがごときひびきを聞けり。その響きは突然に起こりて、草木のはげしく動揺するを見たり。
「われらは鹿を狩りいだしぬ。かくと知らば旋条銃《ライフル》を持ち来たるべかりしに……」と、われは言いぬ。
 モルガンは歩みを停《と》めて、動揺する林を注意深く窺いいたり。彼は何事をも語らざりき。しかも、その銃の打ち金《がね》をあげて、何物をか狙うがごとくに身構えせり。焦眉《しょうび》の急がにわかに迫れる時にも、彼は甚《はなは》だ冷静なるをもって知られたるに、今や少しく興奮せる体《てい》を見て、われは驚けり。
「や、や」と、われは言いぬ。「鶉《うずら》撃つ銃をもて鹿を撃つべくもあらず。君はそれをこころみんとするか」
 彼はなお答えざりき。しかもわがかたへ少しく振り向きたる時、われはその顔色の励《はげ》しきに甚だしくおびやかされたり。かくてわれは、容易ならざる仕事がわれらの目前に横たわれることを覚《さと》りぬ。おそらく灰色熊を狩り出したるにあらずやと、われはまず推量して、モルガンのほとりに進み寄り、おなじくわが銃の打ち金をあげたり。
 藪のうちは今や鎮《しず》まりて、物の響きもやみたれど、モルガンは前のごとくにそこを窺いいるなり。
「何事にや。何物にや」と、われは問いぬ。
「妖物《ダムドシング》?」と、彼は見かえりもせずに答えぬ。その声は怪しくうら嗄《が》れて、かれは明らかにおののけり。
 彼は更に言わんとする時、近きあたりの燕麦がなんとも言い分け難き不思議のありさまにて狂い騒ぐを見たり。それは風の通路にあたりて動揺するがごとく、麦は押し曲げらるるのみならず、押し倒され、押し挫《ひし》がれて、ふたたび起きも得ざりき。しかも、その風のごとき運動は徐《じょ》じょにわがかたへも延長し来たれるなり。
 この見馴れざる不可解の現象ほど、われに奇異の感を懐《いだ》かしめたることはかつてなかりき。しかもわれはなお、それに対して恐怖の念を起こすにいたらざりき。われはかくの如くに記憶す。――たとえば、開かれたる窓より何心なしに表をながめたる時、目前にある小さき立ち木を遠方にある大木の林の一本と見誤まることあり。それは遠方の大木と同様の大きさに見ゆれど、しかもその量《かさ》においても、その局部においても、後者とはまったく一致せざるはずなり。要するに、大気中における遠近錯覚に過ぎざるなれど、一時は人を驚かし、人を恐れしむることあり。われらは最も見馴れたる自然の法則の、最も普通なる運用を信頼し、そのあいだになんらかの疑うべきものあるを見れば、直《ただ》ちにそれをもってわれらの安全をおびやかすか、あるいは不思議なる災厄の予報と認むるを常とす。されば、今や草むらが理由なくして動揺し、その動揺の一線が迷うことなくおもむろに進行し来たるをみれば、たとい恐怖を感ぜざるまでも、確かに不安を感ぜざるを得ざるなり。
 わが同伴者は実際に恐怖を感じたるがごとく、あわやと見る間に、彼は突然その銃を肩のあたりに押し当てて、ざわめく穀物にむかって二発を射撃したり。その弾《たま》けむりの消えやらぬうちに、われは野獣の吼《ほ》ゆるがごとき獰猛《どうもう》なる叫び声を高く聞けり。モルガンはその銃を地上に投げ捨てて、跳《おど》り上がって現場より走り退《の》きぬ。それと同時に、われはある物の衝突によって地上に激しく投げ倒されたり。煙りにさえぎられて確かに見えざりしが、柔らかく、しかも重き物体が大いなる力をもってわれに衝突したりしと覚ゆ。
 われは再び起きあがりて、わが手より取り落としたる銃を拾い上げんとする前に、モルガンが今や最期《さいご》かとも思わるる苦痛の叫びをあぐるを聞けり。さらにまた、その叫び声にまじりて、闘える犬の唸《うな》るがごとき皺枯《しわが》れたる凄《すさ》まじき声をも聞けり。異常の恐怖に襲われて、われはあわてて跳《は》ね起きつつモルガンの走り行きたる方角を打ち見やれば、ああ、二度とは見まじき怖ろしの有様なりしよ。三十ヤードとは隔てざる処《ところ》に、わが友は片膝を突いてありき。その頭《かしら》は甚だしき角度にまでのけぞりて、その長き髪はかき乱され、その全身は右へ左へ、前へうしろへ、激しく揺られつつあるなり。その右の腕は高く挙げられたれど、わが眼にはその手先はなきように見えたり。左の腕はまったく見えざりき。わが記憶によれば、この時われはその身体の一部を認めたるのみにて、他の部分はさながら暈《ぼか》されたるように見えしと言うのほかなかりき。やがてその位置の移動によりて、すべての姿は再び我が眼に入れり。
 かく言えばとて、それらはわずかに数秒時間の出来事に過ぎず。そのあいだにもモルガンはおのれよりも優《すぐ》れたる重量と力量とに圧倒されんとする、決死の力者《りきしゃ》のごとき姿勢を保ちつつありき。しかも、彼のほかには何物をも認めず、彼の姿もまた折りおりには定かならざることありき。彼の叫びと呪いの声は絶えず聞こえたれど、その声は人とも獣《けもの》とも分かぬ一種の兇暴獰悪《ねいあく》の唸り声に圧せられんとしつつあるなり。
 われは暫《しばら》くなんの思案もなかりしが、やがてわが銃をなげ捨てて、わが友の応援に馳《は》せむかいぬ。われはただ漠然と、彼はおそらく逆上せるか、あるいは痙攣《けいれん》を発せるならんと想像せるなり。しかもわが走り着く前に、彼は倒れて動かずなりぬ。すべての物音は鎮まりぬ。しかもこれらの出来事なくとも、われを恐れしむることありき。
 われは今や再びかの不可解の運動を見たり。野生の燕麦は風なきに乱れ騒ぎて、眼にみえざる動揺の一線は俯伏《うつぶ》しに倒れている人を越えて、踏み荒らされたる現場より森のはずれへ、しずかに真っ直ぐにすすみゆくなり。それが森へと行き着くを見おくり果てて、さらにわが同伴者に眼を移せば――彼はすでに死せり。





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